新国立劇場バレエ団『白鳥の湖』

今年5月の新国立劇場バレエ団『白鳥の湖』評をアップする。

新国立劇場バレエ団が2年振り、5回目の牧阿佐美版『白鳥の湖』を上演した。
今回は主役に4組をキャスティング。次代を担う2組が、本格的なパートナーシップを発揮し始めた記念すべき公演となった。昨年の『パゴダの王子』でも組み、来シーズンの『シルヴィア』でも組む予定の、小野絢子と福岡雄大、米沢唯と菅野英男である。
小野は前回の早回しのような踊りからは見違える出来栄え。無垢な姫オデットと、気品あふれるオディールを的確に演じ分けている。動きの明確なアクセントとピンポイントの音取り、規範に則った清潔な踊りが素晴らしい。精神の清々しさも、小野固有の美点である。
対する王子の福岡は、故障明けということもあり、踊りは通常よりもソフトだったが、スポーティな持ち味を生かした独自の王子像を造型した。役に入れ込まない風通しのよさが、小野の清潔さと響き合い、兄妹のようなパートナーシップを息づかせている。
一方、米沢と菅野からは、強力な磁場を形成する女と、それに引きずられながらも、見守り受け止める男の姿が垣間見えた。
米沢の白鳥はパの痕跡を留めていない。バレエの枠組を超えて「踊り」そのものが現出する。座敷舞いのようなグラン・アダージョを見せた酒井はなと、共通する巫女的性質を持ちながら、米沢はパトスによってではなく、身体の操作によってそうした境地に至っていると思われる。
黒鳥では演技に若さを感じさせたが、見事なアン・ドゥダンのピルエット、サービス満点のフェッテが、米沢のヴィジョンを物語った。
パートナーの菅野は誠実さを絵に描いたような王子。楷書のような踊りと、行き届いたサポートで、ダンスール・ノーブルの規範を示した。
今回はさらに、ベテランによる日中白鳥バレリーナ競演も実現した。中国国立バレエ団からのゲスト、ワン・チーミンと、英語表記では日本国立バレエ団である、新国立劇場バレエ団屈指の正統派、川村真樹である。
ワンは隅々まで意識化されたクラシックの肉体に、中国風のしなりが加わり、妙技としか言いようのない踊りを見せた。しなやかで強い腕が白鳥の羽ばたきを幻視させる。
一方パートナーのリー・チュンは古風な王子。一幕ソロは、クラシックのエレガンスを示すお手本のような踊りだった。体の切り返しの素晴らしさ、アラベスクの美しさ。力みがなく、涼風が吹き渡るような典雅な味わいがある。演技も誠実、国代表としての責任感に満ちた舞台だった。
対する川村は3回目の 『白鳥』。実力と年齢からすると少ない舞台数と言わざるを得ないが、美しい腕とゴージャスなライン、大胆な踊りで自らの才能を十全に発揮した。黒鳥の華やかな気品は、川村にしか出せない美質である。パートナーの貝川鐵夫は、前回のようにドラマに巻き込まれることはなかったが、ゆったりと余裕のあるベテランらしい演技だった。
脇では、厚地康雄のノーブルなロートバルト、王妃西川貴子の威厳と愛情に満ちたマイムが素晴らしい。また道化役八幡顕光の音楽的な踊り、同福田圭吾の軽快な演技、トロワ江本拓の両回りトゥール・アン・レールが印象深い。
ディヴェルティスマンではやはり米沢のルースカヤが圧倒的。試験のような振付を易々とこなし、さらに音楽解釈も加えた。また堀口純が、リリカルで伸びやかな大きな白鳥、淑やかかつ華やかな花嫁候補で、改訂者の美意識の在処を示している。
指揮者アレクセイ・バクランは相変わらずの熱血振りだったが、東京フィルは前回同様、管に乱れがあったのが残念。(5月5、6、11、12、13日 新国立劇場オペラパレス) 『音楽舞踊新聞』No.2874(H24.7.1号)初出


米沢唯は入団当初、何か過剰な、作品をはみ出るあり方をしていたが、昨秋のガラ『ドン・キホーテ』pddから舞台に納まるようになった。『パゴダの王子』では振付家の意図を超えるクリエイティヴィティを発揮、『くるみ割り人形』では世界レヴェルのダンサーが見せるようなアダージョを、初めて新国立の舞台に乗せた(ヴァリエーションはまだ詰める余地があったが)。そして『白鳥の湖』。白鳥を見たとき、誰にも似ていないと思った。隣の見知らぬ人に「これまで白鳥を見た中で、誰か似た人がいますか?」と真剣に聞こうと思ったほど。当ブログ名ではないが、まさに舞台の謎だった。どのようにしてああいう踊りが出てくるのか、誰にも分からない身体の、あるいは意識の操作があるのだろう。ダンサー同士では分かるのだろうか。
小野絢子は少女時代、バレエと並行して日舞を学んでいた。振付遵守、型遵守、ラインの明晰さは、そこから来ているのかも知れない。一方米沢は、意識の上で、踊りそのものを掴んでいるように思われる。易々とバレエ越えをする。『パゴダ』で継母に反抗し、すぐさま正座してあやまる場面があるが、小野は美しいお辞儀、米沢は役の腹でお辞儀をしていた。才能ある二人が刺激し合い、これからの十何年を踊っていく姿が見られるのは、観客冥利に尽きる。どこかへ移籍しなければの話だが。