KARAS「日々アップデイトするダンス」シリーズ

KARASの新しい本拠地、KARAS APPARATUS で標記シリーズの『終わらない季節、終わらない音楽』〜『第2の秋』へ向けて〜を見た(8月30日)。カラスアパラタスは荻窪西口から3分。すずらん通り商店街を下ったところにある。1階が受付、地下1階が稽古場兼ギャラリー、地下2階が舞台のあるホール。階段、踊り場、ギャラリーには過去のポスターがぐるりと飾ってある。今回は芸劇プレイハウスでの作品に向けたワークインプログレスとのこと。1時間15分位、音楽と照明のみで、勅使川原三郎、佐東利穂子が踊った。
限られた照明なのに、いつものように研ぎ澄まされた空間。二人を棺桶のような長方形の照明が囲う。そこで痙攣する二人。勅使川原は空気を動かす骨太の押しと引き、高速のステップ、ぬめぬめと動く四肢、すべてに気が漲っている。もちろんかつてのような切れ味鋭い動線とはいかないが、心身ともに充実した力強さがある。佐東は軽やかな足さばき、美しい腕使い、縫うように動く上体に、オリエンタルなムードを漂わせる。互いの間合いを読み、すれ違い、すれ違う、勅使川原のデュエット。
客席と舞台は近い。クラシックダンサーだと観客を瞬時に鷲掴みするところ。コンテンポラリーや舞踏でも、舞台から何らかの波動がくる近さ。だが勅使川原(と佐東)の場合は、大劇場の時と同じ。観客は二人が美的なピースを嵌め込んでいくさまを、じっと見ているだけである。我々は必要なのだろうか?佐東が踊るのを見ながら、これが井関佐和子だったら、バンバンこちらに来るだろうと思った。勅使川原が金森穣と井関に振り付ける図を思い浮かべた。勅使川原は振り移しはしないそう。佐東が踊ってみて、ちょっと違うとか言って直したりするとのこと。でもパリ・オペラ座でも振り移しなしなのだろうか。佐東のパートを井関で猛烈に見てみたくなった。
舞台のあるホールは、言うまでもなく勅使川原にとっての子宮。ポストトークの勅使川原は気持ちよさそうだった。この空間は「常に外部に向けて開かれている」とのことだが、但し書きが。「私の思想とすこしでも重なり共感できる他者=表現者、発言者との交流の場として」。若手の訳の分からない奴らをプロデュースして、バンバン舞台に載せると面白い場になると思うが、それよりも美的な空間になりそう。