フォーサイス@L.A.DANCE PROJECT

彩の国さいたま芸術劇場が開館20周年を記念して、 L.A.DANCE PROJECT の公演を行なった(11月9日 同劇場大ホール)。今季よりパリ・オペラ座バレエ団芸術監督になったバンジャマン・ミルピエが主宰するカンパニーである。ミルピエの『リフレクションズ』(13年)、エマニュエル・ガットの『モーガンズ・ラスト・チャグ』(13年)、ウィリアム・フォーサイスの『クインテット』(93年)の三本立て。前二作はカンパニーが初演、『クインテット』は導入時に振付家が改訂している。
ミルピエの、エネルギーが前面に出ない静かなコンタクト作品、ガットのパトスを秘めた妙な味わいの作品、そしてフォーサイスの人間味あふれる自然な作品という組み合わせ。やはりフォーサイスは圧倒的だった。「フォーサイスはハード・バランシン」というギエムの言葉は、ポアントでフォーサイスを踊っての実感だと思うが、『クィンテット』でもバランシンを思い出した。体自身が面白いと思う動きをやっている点で。ダンス・クラシックをベースに、こうやったら面白い、こう動くと異次元になる、というプロセスが、無意識に行われているように見える。
ブライヤーズの『Jesus Blood never failed me yet』が流れるなか、ダンサーたちが自分の身体を生かした有機的な動きを繰り広げる。見ているうちに、人肌の暖かさ、胸が締め付けられるような悲しみ、薄っすらとした希望が、じんわりと胸に溜まってくる。06年に同じ舞台で上演された『You made me a monster』を思い出した。客席は使用せず、観客は一列に並んで、舞台に上がる。フォーサイス自身も舞台に乗り、観客が紙細工を作るのを手伝う。妻がなくなった後、数年たって、遺品の中にあった人体模型を組み立て始めたフォーサイスは、ついにそれが何かの形になるのを知る。「それは、深い悲しみという模型だった」。つまり紙細工はフォーサイスの悲しみであり、作品自体が観客と共に行なう喪の儀式だったのだ。
ダンス・クラシックの自然な解体=延長はバランシン、実存の深さはマッツ・エックや、何故かトリシャ・ブラウンを連想させる。今のフォーサイスは分からないが、バランシンと同じく、時代を画する天才だったと思う。
ダンサーは、ガット作品に出演したチャーリー・ホッジスが抜きん出ていた。田村一行のような体つき。舞踏でも踊れそうだ。動きの全てに解釈を入れた上で、自分の匂いを付けている。魅力があった。