新国立劇場バレエ団『シンデレラ』2014

標記公演評をアップする。

新国立劇場バレエ団が一年置き恒例の年末風物詩、アシュトン版『シンデレラ』(48年)を上演した。アシュトンのプティパ・オマージュ、古典作品の再解釈であり、物語性と儀式性が絶妙に絡み合う傑作である。前回は監修者ウェンディ・エリス・サムスの来日指導で、細やかなドラマの流れが再確認されたが、今回は、指揮者マーティン・イェーツの妥協を許さない音楽作りが舞台を主導した。


主役は4組(7回公演)。初日の小野絢子と福岡雄大は名実共に看板コンビとなった。小野は容姿、技術、音楽性の全てを生かし、アシュトン振付の機微を美しく視覚化する。福岡はアダージョも万全、ゆったりと華やかな王子だった。パートナーシップも光り輝いている。


二日目は米沢唯と菅野英男。米沢の全身全霊を捧げた踊りを、菅野が暖かく見守る精神性の高い組み合わせである。アモローソでは観客と地続きの静かな幸福感が劇場を包んだ。菅野はノーブルな姿を取り戻している。


三日目は長田佳世と奥村康祐(最終日所見)。長田は、誠実さが最後に報われることを身体化できるシンデレラ・ダンサー。音楽を生きる自然な踊り、鮮やかな足技、特に花開くようなデヴェロッペが素晴らしい。奥村は意外にも、他日配役のペーソスあふれる道化に精彩があった。


四日目の寺田亜沙子と井澤駿は共に初役。寺田は伸びやかなラインと芝居を楽しむ能力で、きらきらと輝くシンデレラを造型。新人の井澤は登場するだけで王子のオーラを発散する逸材だった。踊り、演技、サポートもクールにこなしている。


もう一方の主役、義理の姉たちは、組み合わせに違いはあるが前回同様、山本隆之と野崎哲也、古川和則と高橋一輝。華やか組と、ほのぼの面白組、それぞれ客席から笑いを勝ち取っている。


仙女の本島美和は圧倒的な存在感、堀口純は輝かしさ、細田千晶は少し線は細いが美しい踊りで、道化の八幡顕光は切れのよい踊り、福田圭吾は素直な献身性、奥村は観客とのコミュニケーション能力で舞台に貢献した。またウェリントン・貝川鐵夫の貫禄、ダンス教師・加藤大和の芝居っ気、床屋・宇賀大将の奇矯さが印象深い。


四季の精は、再演の夏の堀口、秋の奥田花純が個性を発揮したが、春の新人、柴山紗帆の音楽性、絶対的なフォルムには驚かされた。四季のいずれも踊れる気がする。


顔ぶれが変わった王子の友人、星の精、マズルカ・アンサンブルが安定した踊りで、作品の定着を示している。東京フィルはイェーツの真摯な姿勢に引っ張られて、緊張感あふれる演奏だった。(12月14、18、20、21、23日 新国立劇場オペラパレス) *『音楽舞踊新聞』No.2943(H27.2.15号)初出

イェーツは楽譜を片時も離さず、舞台もほとんど見ていないようだったので、謹厳なタイプかと思ったのだが、実は『シンデレラ』は初めてだったらしい。ロイヤルで振っているのに、そんなことがあるのだろうか。