アーキタンツ・スタジオパフォーマンスvol.9 『最後の聲』2015

標記公演評をアップする。

バレエ、コンテンポラリー・ダンス、能のクラスやワークショップを運営するスタジオアーキタンツが、縁の深い香港在住振付家ユーリ・ンの新作を上演した。同スタジオは、ンのバニョレ国際振付賞受賞作『Boy Story』の美術に携わったスタッフにより設立されている。昨年3月の「ARCHITANZ 2014」公演では、この受賞作の再演を見ることができた。


今回の『最後之聲』は、ンが芸術監督を務める香港のアカペラ・グループ「ヤッポシンガーズ」(一舗清唱)と、オーディションで選んだ「コラボレイターズ」によるアカペラとダンスの公演。振付・演出はン、音楽監督は「ヤッポシンガーズ」の共同芸術監督ウン・チャクイン、さらにアーティスティック・アソシエイトとして、富士山アネットの長谷川寧が加わった。


上演場所は同スタジオ。長方形スタジオの長い方を正面とする平舞台で、客席も横長に組んである。舞台には5本のマイク、奥の鏡には、透明のビニールで流れる雲のような模様が描かれ、その下に18個の椅子が置かれている。客が席に納まると、男声の場内アナウンス。携帯などの注意事項を聞くともなしに聞く。しばらくすると、妙な具合に言葉が増殖しているのに気が付いた。「奇声はかたくお断りいたします、涙はかたくお断りいたします、カラオケはかたくお断りいたします、ミネラルウォーターはかたくお断りいたします」。ここに至って初めて、これが作品のテキストであることが分かった(後に、作品の自己言及アナウンスであることが判明)。


歌手4名、ダンサー18名がそれぞれマイクとグラスを持って入場する。黒ずくめのパーティ・ドレスやジャケットに、血の気のないグロテスクな化粧。「ヤッポ」の男性4人が、ヴォイス・パーカッションを含むアカペラで全8曲を歌う。その歌に呼応して、ダンサー達は声を出しながら様々なフォーメイションやシチュエーションを作る。合間にアナウンス。ダンサー達の動きは日常的な身振りの延長だった。いわゆるダンス風の動きではなく、声を出す、歌う、歌と連動することが、ンの現在の振付なのだろう。


声と身体の関係は、多くのダンサーが試みるところである。例えばバニョレの先輩、山崎広太は、言語化される前の未分化の言葉を発しながら踊る。あるいは誰かが物語る空間の中で、その言葉に寄り添うように踊る。あるいはポップスの歌詞とユニゾンするように踊る。他者に振り付ける時も同じ。いずれにしても、声と個々の身体の関係は即興的に追求される。


ンの場合は、アカペラという精緻な歌唱形式をバックに、ダンサー達の動きが理性的に統一されている。ダンサー達は動きながら歌を唄い、奇声を発し、男女関係の片鱗を動きでなぞるが、個々の身体がほどけて自らを主張することはない。唯一の例外は、白井さち子によるミネラルウォーターの瓶を持ったソロ。重心の低いなめらかな踊りは、ンの演出を突き抜ける強度があった。


アカペラと協同する公演は、もちろん芸能的な音楽の快楽を伴う。その一つに、中国語と日本語のデュエットがあった。ラウー・チャンと田中蕗子が歌う愛の歌である。日本語は訳詞のはずなのに、なぜか言葉の音がしっくりくる。中国語の意味は分からないのに、二人の濃密な感情のやり取りが伝わってくる。日本語の作詞者は、場内アナウンスと、もう一つのアナウンスのテキストを書いたアーティスティック・アソシエイトの長谷川である。


長谷川のもう一つのアナウンスとは、玉音放送のアレンジだった。「朕」という自称そのままに、男性ダンサーがテキストを読む。聞き覚えのある文章が微妙に編集されている。玉音放送を読む、しかもアレンジされていることに強い衝撃を受けた。ただしその意図は掴めなかった。長谷川の考えが明らかになったのは、振付家音楽監督、出演者全員によるポストパフォーマンス・トークにおいてである。


この作品は題名通り、「最後の声」をコンセプトとしている。ダンサー達には、「三日後に声が出なくなったらどうしますか」という課題が与えられ、それぞれの回答を基に作品が作られたことが、トークで分かった。長谷川には、「日本で一番有名なラジオ・アナウンスメント」を基にしたテキストが課された。そして彼は玉音放送を選ぶ。ポツダム宣言を受諾し、戦争を終わらせた「最後の声」だから。


さらに長谷川はデュエットの訳詞について、驚くべき発言をした。空耳で作ったと言うのだ。『タモリ倶楽部』で有名なあの空耳である。つまりチャンの歌詞を聴いて、その音に近く、内容にふさわしい日本語を当て嵌めて、歌詞を作ったのだ。中国語と日本語のデュエットに違和感がなかったはずである。


香港の振付家が香港のアカペラ・グループを連れてきて、日本人ダンサーとワークショップを行う。そこに日本の場という楔を打ち込んだのが、長谷川だった。作品に自己言及するアナウンスの過剰さ、玉音放送を日本人による一つのテキストとして捉えアレンジする知的度量、空耳で作詞する大胆不敵。そして本人がこれらを当然と見なしていることに、計り知れない才能を感じた。


トーク中、ユーリ・ンは、右足の小指を左足の親指と人差し指で裏返しに挟んで、楽しそうだった(当然裸足)。白井のソロと、この足指のにぎりが、この夜味わった数少ない身体的快楽だった。


「ヤッポシンガーズ」は優れたアカペラ・グループである。ダンス公演と思わなければもっと虚心に音楽を楽しめたかも知れない。アンコールには、中国の歌謡曲を歌った。二胡などの中国楽器を口まねする。それまでのどの曲よりも、心に沁みた。昨年の『Boy Story』再演で見た、中国歌謡でのバーレッスンを思い出す。細胞レヴェルで身体に音が入ってくる様が、二重写しになった。


2015年3月20日、21日昼夜 スタジオアーキタンツ(3月20日取材)
文化庁委託事業「平成26年度文化庁戦略的芸術文化創造推進事業」
振付:ユーリ・ン(伍宇烈)、音楽監督:ウン・チャクイン(伍卓賢)、照明デザイン:瀬戸あずさ、音響:金子伸也、主催:文化庁、株式会社アーキタンツ、制作:株式会社アーキタンツ

本評は、ある媒体用に書いたものだが、諸般の事情でブログに載せることにした。