佐藤俊介&萩原麻未@「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 2015」

佐藤俊介(ヴァイオリン)と萩原麻未(ピアノ)を標記音楽祭で聴いた。共演した訳ではなく、別個の公演。前者はバッハの『ヴァイオリン協奏曲第2番』と『2つのヴァイオリンのための協奏曲』、後者はラヴェルの『高貴で感傷的なワルツ』『ラ・ヴァルス』と、ジェフスキの『ウィンズボロ・コットン・ミル・ブルース』(5月2、4日 東京国際フォーラムB7、G409)。両者ともダンサーに匹敵する身体性の持ち主だった。
佐藤は今年2月、柳本雅寛と組んだ動き回るコンサートを聴いて(見て)驚いたばかり。柳本に引っ張られたり、寝転がったりしても音程が崩れない。子供の頃から歩きながら練習していた(←叱られていた)成果とのこと。体幹がしっかりしていて全身の力が抜けているので、運弓がダンスのように見える。こちらの体もほぐれる。今回はオーヴェルニュ室内管弦楽団との共演だが、指揮者がいるのに、後ろを振り向いて、団員と濃密なコンタクトを取っていた。コンチェルト・ケルンとオランダ・バッハ協会のコンマスをしているので、その癖が出たのだろうか。違う気がする。コンタクトを取りたい人。『2つの』ではイレーヌ・ドゥヴァルと共演したが、まだ学生の彼女を指導しているように見えた(彼女がまたガチガチのフォーム)。いずれも超絶技巧を駆使しているのに、これ見よがしではなく、一陣の風が吹き抜けたような演奏。バロックの装飾音符が、ジャズの即興のように、みずみずしいエネルギーを帯びて生み出される。つまり固定化された名演奏を目指していない。その時その場にいる人々と、音楽を分かち合いたいだけなのだ。自然体のステージマナーを見て、なぜか熊川哲也を思い出した。嘘がつけないタイプ。超絶技巧が何かに捧げられているという点で。
萩原は狭い空間だったので、ラヴェルの繊細なワルツよりもジェフスキの肘打ち奏法が合っていた(音がワンワンしてラヴェルに聞こえなかった)。座席が萩原の背後だったため、ジェフスキの串団子が延々並んでいるような譜面と、萩原の肘打ちをしっかり見ることができた。綿工場で働く労働者のブルース。機械音を和音の強打で表し、時折肘打ち奏法で轟音を作る。見ていて、黒田育世を思い出した。裸足でスタンピングし、四肢を突っ張らかす黒田。自分の脚を蹴り続ける黒田と、子供の頃、親が止めるまでピアノを弾き続けていた萩原が重なる。弾きたい、打ちたいという萩原の思いのみが後に残った演奏。