長谷川六『闇米伝承』2015(追記あり)

標記公演を見た(7月10日 ストライプハウスM)。東京ダンス機構主催「TOKYO SCENE 2015」の一環である。作・演出・装置・出演は長谷川六。衣装(装置としての衣服)製作は奥野政江。照明はカフンタ。と書いて、照明に気付かなかったことに気付いた。照明効果は無意識に刷り込まれている。あるべき照明の姿。
昨年は、道路に面した半円を描く大ガラス窓を背景にし、行き交う人々が見える舞台設定だったが、今回はギャラリー中央にある階段がバック。壁には高島史於による70年代の写真が並ぶ。花柳寿々紫、藤井友子、三浦一壮、矢野英征、畑中稔の霊に囲まれて踊る形。
カミテ通路から長谷川が登場。留袖をリフォームした長い衣装、右手には杖、ではなく竹刀、左手には紫の花束。盲目のオイディプスか、能役者の佇まい。竹刀がよく似合っている。ついさっきまで受付でにこやかに微笑んでいたのが、一瞬で本来の体に統一される。つまりどこでも集中できるということ。足袋のような白い靴下をはき、地面を選びながら静かに動く。床の中央には三枚の畳んだ着物。その前で、長谷川は体と対話しつつ、フォルムを変えていく。竹刀を斜めにしたり、両の手で捧げ持ったり。その腕の美しさ(左前腕裏には丸い痣がある)。様々な身体技法を経てきた果てに獲得された美しさである。一瞬一瞬フォルムを切り取り、体の位相を変える手法は、能に由来するのだろうか。気の漲りは穏やかだが、見る者の中に確実に堆積して、ふと気が付くと涙が流れていた。
『闇米伝承』という題の下に、「母親の箪笥から着物が一枚、また一枚消え、四人の子供のいのちを繋いだ」とある(ちらし)。母の着物を思い、父の竹刀を使った舞。そこにバッハの無伴奏チェロ組曲を流すところが、モダニスト長谷川。一方、張りつめた神事のような瞬間ののち、それを破壊するかのごとく、母の着物を両腕に巻きつけてぶん回すのが、ポストモダニスト長谷川。最後は『ケ・サラ』を「70年代を思って歌い」、終わりとなった。
「昨日膝を痛めて歩きづらいので、父と祖父の使った竹刀(剣道の師範だった)を杖に使いました」と挨拶。花束も「今朝頂いたもの」だった。完全な自由を垣間見られる時間。人間は自由なのだと思い出させるパフォーマー

*長谷川六氏より「着物を振り回すのは、乱拍子、唄を歌ったのは、シテは謡うので」とのご指摘を頂いた。全て能にある要素で創られていたということ。