新国立劇場バレエ団『白鳥の湖』2015

標記公演評をアップする。

新国立劇場バレエ団が、大原永子芸術監督就任シーズン、最後の演目を上演した。06年初演、7回目の牧阿佐美版『白鳥の湖』(K・セルゲイエフ版に基づく)である。大原監督は古典バレエへの回帰と共に、演劇性重視を指導の要としてきた。今回の『白鳥』では、古典様式、民族舞踊、マイムがかつてなく行き届き、薫陶の成果を覗わせている。3人のオデット=オディールも、それぞれ和風、西欧風、ロシア派と、個性を十全に発揮、若手の台頭も知らしめた充実の舞台だった。


初日の米沢唯は、役を考え抜いた上でその場を生きるタイプ。オデットは当初、何を目指しているのかよく分からなかったが、悪そのものであるオディール造型、ロートバルト死後に見せた、憑き物が落ちたような表情から、悪魔によって白鳥に変えられた人間の苦しみを、身体的に生きていたのだと分かった。破格のアプローチだが、有無を言わさぬ思考の強度と、それを実行する熱量の高さがある。


二日目の小野絢子は叙情的な白鳥、気品あふれる妖艶な黒鳥を的確に演じ分けた上で、さらに運動的快楽をも供給する。パートナーの福岡雄大と共に、古典バレエの様式性、演劇性、パの純度を追求するいわば求道者。時に「きっちり」という声が聞こえる部分もあったが、古典ダンサーとして王道を歩んでいる。


最終日の長田佳世は白鳥を踊るための四肢を備えたダンサー。美しい腕が繰り出す柔らかな羽ばたき、完璧に意識化された脚が永遠のアラベスクを描き出す。バレエを神聖なものとするロシアの教育に、長田の誠実さが合致して、宗教性を漂わせる舞台を作り上げた。


王子はそれぞれ、英国ロイヤル・バレエのワディム・ムンタギロフ、福岡、奥村康祐。ムンタギロフは、ロシアの身体に英国の教育が施された理想的なダンスール・ノーブル。自然体の演技、規範に則った踊りが素晴らしい。米沢に呼応することはできなかったが、一貫した役作りだった。


福岡は今回、優雅だった。心得た演技、正確な美しいソロで、責任感あふれる突き詰めた舞台を見せた。一方、奥村は前回よりもさらに若く、夢見がちになった。ロマンティックな資質を強調したのだろうか。


ロートバルトは演技派3人。貝川鐵夫のダイナミズム、輪島拓也の熱血、古川和則の哲学者のような威厳と、個性を楽しませた。特に古川の立体的な役作りは、牧版の弱点を補っている。


例によって道化の八幡顕光、福田圭吾、小野寺雄が、音楽的超絶技巧、人間的な暖かさ、洗練された演技と踊りで、宮廷場面を献身的に支えた。


ベテランでは、チャルダッシュの大和雅美、丸尾孝子、トレウバエフ、貝川が豊かな味わい。大和はさらに、小さい4羽の白鳥を率いて音楽的なアンサンブルを作り出した。ナポリ・江本拓の美しい脚技、家庭教師・内藤博の老練な演技も素晴らしい。


若手では、井澤駿の華麗な踊り、池田武志の覇気ある踊り、柴山紗帆の品格ある踊り、また来季入団する木村優里の大物ぶりが印象深い。


演奏は東京フィル。熱血アレクセイ・バクランが全力で指揮をしたが、残念ながら、『白鳥』の華であるオーボエ、さらに金管も不調。余程の過密スケジュールなのだろうか。(6月10、11、14日 新国立劇場オペラパレス) *『音楽舞踊新聞』No.2952(H27.7.15号)初出