シュツットガルト・バレエ団「シュツットガルトの奇跡」&『オネーギン』2015

標記公演を見た(11月18、23日 東京文化会館)。現在ただ今はマリインスキー・バレエを見ているのだが。
今回の来日公演で思ったことは、シュツットガルト男性ダンサーの過酷さ。ガラの「シュツットガルトの奇跡」で、クランコ作品を5つ見たが、どれも超アクロバティックなサポートの連続である。これを体得しなければ、バレエ団で生き残れないのだと思った。クランコが衝撃を受けたボリショイ・バレエの作品よりも、クランコ作品の方が、パートナリングは高度で複雑になっているのではないか。主役は当然、ソリスト級でも難度が高く、気のせいか、皆上腕が太く、下半身もがっしりしている。フォーゲルなど、普通のバレエ団なら楽ちんの主役だろうが、ここでは常にチャレンジングな男性パートが待っていて、気が晴れることはないだろう。バランキエヴィッチ、ザイツェフ、マッキー、ラドメーカーがいなくなり、レイリーだけが残っている。彼の『オネーギン』を見たが(もちろんオネーギン・タイプではない)、振付、演技を、指導された通りに細かく演じていて、胸が熱くなった。伝統を継承しているということ。前回は情熱的なグレーミンに魅了された(グレーミン・タイプでもないと思うが)。
ガラはなぜか『ドン・キホーテ』のパ・ド・ドゥで締めるNBS形式。直前までは、クランコと、シュツットガルトが生んだ振付家たちの作品を取り混ぜて上演する緻密なプログラムだった。上階はガラガラだったので、どうせなら本来の形で上演して欲しかった。作品ではイツィック・ガリリの『心室』と、マルコ・ゲッケの『モペイ』が面白かった。前者はフォーゲルとレイリーの男性デュオ。ベートーヴェンの『月光』を使った脱力系、脱官能的振付。新国立劇場バレエ団の井澤駿と原健太で見たいと思った。『モペイ』はダンサーの固有性よりも、振付自体の面白さが勝る。音楽(C.P.E.バッハ)から生み出された有機的な動きは、結果としては面白いが、受け狙いではない。他者の介在しない内的必然性がある。福岡雄大で見てみたい。