新国立劇場バレエ団『ホフマン物語』2015

標記公演評をアップする。

新国立劇場バレエ団の新シーズンが開幕した。演目はピーター・ダレル版『ホフマン物語』(72年、STB)。プロローグ・エピローグ付き、全三幕のグランド・バレエである。


作品はオッフェンバックのオペラ『ホフマン物語』を母胎とするが、ランチベリーが大幅に編曲を施して、ランチベリー版とも言える堅固な音楽構成を誇る。一幕のメヌエットやガヴォット、二幕のモーツァルトピアノ曲、ロシア風グラン・パ・ド・ドゥ、三幕の有名な舟歌に加え、スパイスの効いたソロ曲等、耳に残るメロディが多い。


ダレルの振付はバレエの様式を年代順に追うもの。一幕の宮廷舞踊とコメディ、二幕のロマンティック・バレエとクラシカル・バレエ、三幕のモダン・バレエ。プロローグには3つの男性ヴィルトゥオーゾ・ソロが含まれるが、エピローグと共に、ミュージカルの趣を持つ。観客との地続き感を大切にしたのだろう。


オペラのニクラウス(ミューズ)を省略したことは、ホフマンの詩人としての性格付けを曖昧にし、幕切れの芸術讃歌を、悪魔に翻弄された人間の悲嘆へと矮小化することになるが、全体を見れば、堅固な音楽構成と、視野の広い、一種啓蒙的な振付の合体は、オペラハウスに適した作品と言える。川口直次の装置、前田文子の衣裳、沢田祐二の照明も互いに相性が良く、作品の魅力拡大に貢献した。


配役は適材適所。ホフマン初日の福岡雄大は、酔っぱらいの老け役には覇気がありすぎて、リアリティを欠いたが、幻想シーンの切れ味鋭いクラシック・ソロ、三幕のマゾヒスティックな苦悩の踊りで長所を発揮した。二日目の菅野英男は、力みのない自然体演技と、何でも来いのサポート力で、悠揚迫らぬホフマン像を造型。特に酔っぱらいの場面では懐の深いユーモアを漂わせた。三幕の十字架攻撃が最もはまっていたのも菅野。最終日の若手、井澤駿にとっては、3人のパートナー、老け役等、チャレンジングな役柄である。サポートに力を取られて、いつもの華麗な踊りは影を潜めたが、老け役を含む芝居には才能を発揮。ピアノを弾く姿はロマンティックだった。


一方、ホフマンを取り巻く女性陣も主役経験豊富な強者。二役を演じた米沢唯は、5回公演全てに出演する強行軍だったが、芸術への情熱が嵩じて死に至るアントニア、熱いエネルギーが迸る魔性のジュリエッタを、自らの分身のごとく気持ちよさそうに演じている。アントニアの小野絢子はパートナーの福岡共々、幻想シーンが本領。プリマのオーラが広がる磨き抜かれたロシア風ソロが素晴らしかった。


ジュリエッタの本島美和は、本島の来し方を思わせる演技。ジュリエッタがなぜ高級娼婦になったのか、ダーパテュートとの深い関係までも感じさせる、奥行きのある造型だった。オリンピアの長田佳世は、自動人形のメカニズムを追求。細かく分節された正確な動きで、人形の愛らしさの裏に潜む、もの悲しさを抽出した。一方の奥田花純は、ホフマンから見たオリンピアという解釈。少し動きが流れる部分もあったが、愛らしい演技だった。


ホフマンを操る一人4役の悪魔的人物には、冴え渡る動きと色気を見せたトレウバエフ、大きく暖かみのある貝川鐵夫が好演。ホフマンの現在の恋人、ラ・ステラの本島と堀口純も役どころを押さえている。


ホフマン友人には新旧の3人組。中でも奥村康祐と木下嘉人のバットリー対決は見応えがあった。また、召使い・八幡顕光、福田圭吾のラディカルな動きは、ベテランならではの創意にあふれる。新加入の抜擢もあり、バレエ団は新たな局面に突入した模様だ。


ポール・マーフィー率いる東京フィルは、金管木管、弦、全てが充実。舟歌には陶然とした。(10月30日、31日昼夜、11月1、3日 新国立劇場オペラパレス) *『音楽舞踊新聞』No.2964(H28.3.1号)初出