ローザス『Fase』2017

標記公演を見た(5月2日 東京芸術劇場プレイハウス)。もう一つの『Vortex Temporum』は都合で見られず。振付家ローザス主宰のアンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルは、ムードラとNYのティッシュ・スクール・オブ・ザ・アートダンス出身。NY留学中にスティーヴ・ライヒの「Violin Phase」と「Come Out」を使って作品を作り、82年ベルギーに帰国、新たにライヒの「Piano Phase」と「Clapping Music」を加えて、同年『Fase』として発表した。翌年ローザス結成。石井達朗氏(プログラム解説文)によれば、『Fase』は「アメリカのポスト・モダンダンスの影響を強く受けながらも、それがゆっくりと衰微し変容しヨーロッパの次世代に受け継がれようとする、象徴的な作である」。
冒頭の「Piano Phase」で、ドゥ・ケースマイケル(以下ドゥを省略)は、ミニマルに踊ることに快感を覚えているようだった(ライヒの音楽自体も瞑想的)。ただしデュオを踊ったターレ・ドルヴェンからは、こうしたことは感じられない。またケースマイケルの腕、首の傾げ方には微妙なニュアンスが見て取れるが、ドルヴェンは直線的で無表情。振付家とダンサーの違いか、あるいは直接ポスト・モダンダンスに触れた人間と、間接的に知った人間の違いか。動きはアン・ドゥダン回転が多く、思い出したようにアン・ドゥオール回転で決めを作る。アン・ドゥダンが多いので、瞑想的でストイックになるのだろう。途中、舞台前方に出てきて、「シュッ」と気合を入れるところは東洋武術風。ピアノのずれと、2人の動きのずれは、一致していない。どうやって振りを覚えているのか。
「Come Out」は2人が椅子に座り、膝を叩く、腹の前をクリクリして、右手で頭の後ろを触る、前屈する。左に45度づつずれていき、シンメトリーになり、最後はユニゾンに戻る不思議。
「Violin Phase」はケースマイケルのソロ。「Piano Phase」はこれの拡大版。アン・ドゥダン(もしくはナンバ)を交互に反転させながら、時計回りに円を描く。内側に引き締まる動きの気持ちよさ。前方に両腕を投げ出し、右脚を内巻きに回す。時々アン・ドゥオール回転での決め。イタリアン・フェッテのアン・ドゥダン版もあり、バレエ語彙による裏側のアンシェヌマンという趣がある。途中、何回もワンピースの後ろをまくって、パンツを見せるのはなぜ?
「Clapping Music」は先頃、ライヒ自身とコリン・カリーの生クラッピングを聴いたばかり。清潔でミニマルな快感の中に、手を使った対話の温かみが加わり、胸に迫るものがあった。ケースマイケルとドルヴェンはスニーカーで爪先立ちをする。時折、右脚でステップ。腕は前方後方に動かし、前方で止める。アメリカの遺産。
『Fase』がポスト・モダンダンスの古典で、ケースマイケルが優れた振付家・唯一無二のダンサーであることは確かだ。ただし、個人的にはどこか受け入れがたい所がある。ナルシシズム、少女性と言ったようなこと。バレエカンパニーやダンスカンパニーに所属すれば、真っ先に矯正される性質。シルヴィ・ギエムが留保を付けながらも発したケースマイケル評「偽物の知性」は、そこら辺りを突いている気がする(『バレリーナは語る』新書館、1997年)。