新国立劇場バレエ団『眠れる森の美女』2017

標記公演を見た(5月5,7,12,13日 新国立劇場オペラパレス)。同団は、97年の開場記念公演でK・セルゲーエフ版『眠れる森の美女』を導入、07年まで再演を重ねている。7年の空白後、大原永子芸術監督の就任初公演として、ウエイン・イーグリング版を新制作した。英国で活躍した大原監督が選んだのは、当然ながら英国系の版。ロイヤル・バレエの元プリンシパルで、ダンサーとしてP・ライト版、マクミラン版、ド・ヴァロワ版(原振付:N・セルゲーエフ)を踊ってきたイーグリングは、今作が初の『眠り』改訂だった。
英国系の特徴は、マイムの保存、プロローグ(洗礼式)の格調の高さと儀式性、デジレが城に到着してからのスリリングな情景(リラの予言通り⇒王子は戦わない)など。N・セルゲーエフによってもたらされたプティパ版が、英国流の洗練(少しガラパゴス的)と改変を経て現在に至る。一幕農民のワルツは新振付となり、三幕宝石の精には男性が入る。イーグリング版ではさらに、プロローグの妖精に気品の精(二幕ガヴォット使用、プティパ様式)が加わり、リラの精を中心に3対3のシンメトリーを形成する。また英国系ではよく見られる二幕「目覚めのパ・ド・ドゥ」が、ロミ&ジュリ仕様で踊られる。アラベスクの美しい二幕デジレのソロ(三幕サラバンド使用)共々、イーグリングのマクミラン・オマージュと考えられる。
クラシカル・スタイルの気品の精は良いとして、モダン・バレエ語彙の「目覚めのパ・ド・ドゥ」は、いわゆる『眠り』のイメージから遠く、作品の統一性を損なうかもしれない。バレエ経験値の高い人からは顰蹙を買う可能性がある。しかし、振付自体は音楽的で難度が高く、ドラマティックな魅力にあふれるパ・ド・ドゥである。
再演で改めて思ったのは、衣裳、装置の主張の強さだった。トゥール・ヴァン・シャイクの衣裳は、恐らく当時の絵画を参考にしたと思われる絶妙な色味が特徴。一幕ワルツの女性や、オーロラ友人の美しい衣裳が目に浮かぶ。男女共にデコルテを強調したデザイン、王・王妃の華やかな衣裳には見る度に驚かされるが。そして森の精(本来は川の精で水色)の毒々しい緑色にも。もし装置も同一人物によるものだったら、全体のバランスは取れていたのかもしれない。茶を基調とする重厚な装置(川口直次)は抜けがなく、踊りに集中しづらい空間構成。振付家の要請もあったとは思うが、結果としてダンサーの影を薄くさせる美術になってしまった。もう一つの疑問は、序奏でリラがシャンデリアに乗って降りてくる演出。意図は理解できても、熱いのでは? 衣裳が燃えるのでは?と思ってしまう。妖精だから平気ということだろうか。

オーロラとデジレは4キャスト、リラとカラボスは2キャストが組まれた。オーロラ初日の米沢唯は、昨秋の『R&J』でも組んだムンタギロフ(英国ロイヤル・バレエ)との良好なパートナーシップを印象付けた。共にすっきりと清らかな佇まい。二幕幻影の場面、「目覚めのパ・ド・ドゥ」、三幕グラン・パ・ド・ドゥを通して、流れるようなパートナリングと、身内から自然にあふれ出る笑顔を見ることができた。無意識になった時の米沢の踊りは無敵。宙を舞うような浮遊感があった。ムンタギロフもかつてないにこやかな表情。二幕憂愁のソロでは、美しいアラベスクでロイヤル・スタイルを体現した(二日目も同キャスト)。
三日目の池田理沙子は、一種奔放なエネルギーを感じさせる。クラシカルなタイプではなく、技術的な詰めも必要だが、「目覚め」ではジュリエットそのものだった。対する奥村康祐も、持ち味のロマンティックな資質をよく生かして、ノーブルな役どころを押さえている。
三日目の木村優里は、初日・二日目のリラを終えてのオーロラ。一幕はやや作り過ぎに見えたが、二幕の伸びやかな踊りが素晴らしかった。三幕はアラベスクに強度があり、古典を踊ることへの確かなイメージを感じさせる。本人は、あるいはリラ役の方が会心だったかもしれない。カラボスと拮抗する押し出しの強さ、ソロ(高難度)でのエネルギー、作品を俯瞰する力は、実年齢をはるかに超えている。対する井澤駿は、持ち前の大きさが出た。二幕の王子然とした佇まい、愛を希求する熱いソロ(憂愁ではなかった)、リラに「オーロラと結婚させてください」と乞う片膝着きレヴェランスの激しさは、肚にグッときた。「目覚め」では木村とのエネルギーがぶつかり合い、今後踊られるであろう物語バレエでの名演を予感させた。
最終日の小野絢子は、パートナーの福岡雄大共々、振付の機微を押さえて、英国系のニュアンスを隈なく描き出す。昨年日本バレエ協会で踊ったセルゲーエフ版で、地を生かした自然な役作りを見せたことを思うと、個々の振付に対する真摯な姿勢が改めて確認された。小野は音楽的でクリスピーな踊り、福岡はスタイルを意識しつつも覇気あふれる踊りで、振付を掌中に収めている。初演から2年半の経験と蓄積を感じさせると同時に、ビントレー時代を経験した米沢を含めた3人が、新たな段階を迎えたようにも思われた。
バレエ団で円熟の極みを見せたのが本島美和。忘れられたことへの苦しみを感じさせるカラボス、一人一人に慈愛を注ぐ王妃が素晴らしい。作品理解の深さ、それを演技やマイムに落とし込む力がある。オーロラが倒れ、王妃がリラに懇願する姿は、母そのものだった。細田千晶の清潔なリラ、寺田亜沙子の伸びやかな誠実の精、堀口純の映画女優を思わせる伯爵夫人など、ベテラン勢が地力を見せる一方、川口藍(誠実)、若生愛(寛容、白い猫)、広瀬碧(歓び、アメジスト赤ずきん)が、実力と個性を発揮しつつある。また柴山紗帆(フロリナ、勇敢)の精緻なクラシック・スタイル、奥田花純(勇敢、エメラルド)のエネルギッシュな踊りも印象深い。
男性では、中家正博(4人の王子、長靴猫)が抜きん出たクラシシズムで他を圧倒。渡邉峻郁(ゴールド、4人の王子)のノーブルな踊り、木下嘉人(ゴールド)の意志の強い踊りが、舞台を大きく支えている。立ち役では、輪島拓也のカタラビュート、宝満直也のガリソン、キャラクターでは、猫の3組と赤ずきん+狼の2組に配役の妙を感じた。猫の中家・若生は端正、宇賀大将・玉井るいは色っぽく、原健太・原田舞子は愛らしく、赤ずきん+狼の五月女遥・小口邦明は正統派、広瀬・福田紘也は動きの鮮烈さと福田の喜劇性が際立った。親指トムの3人(八幡顕光、福田圭吾、小野寺雄)は超高難度のソロを献身的に踊っている。熱血アレクセイ・バクランが、東京フィルを駆り立てて、初日から最終日までドラマティックな演奏に終始、舞台に大きく貢献した。