佐東利穂子『告白の森』2022

標記公演を見た(10月22日 KARAS APPARATUS)。『泉』(19年)、『ノクターン』(21年)に続く自作自演作。1作目は自分の感覚を試すような手探りの感触があり、ある種の瑞々しさを湛えていた(コチラ)。2作目は勅使川原三郎の音楽構成だったため、勅使川原作品に近い印象。今回は1作目同様、自らの音楽構成で、自作テクストの朗読も加わった。これまでよりも構築への意志を感じさせる。変幻自在の照明は記載はないが、勅使川原だろうか。

冒頭、佐東の密やかかつ張りのある声が流れる。「遠い緑の楽園に深い湖があり、その水面に映る森は…」。おとぎ話を思わせる情景が目に浮かぶ。轟音が響き渡り、チェンバロがかすかに聞こえると、闇の中からうっすらと白いドレスの人影。亡霊のように少し前進しては戻る。カウンターテナーが轟音に入り混じりループ。

白い人影は前方に進み出ると、クキクキとひくつきながら体を震わす。銀髪を振り乱し、自分から抜け出そうとする風。白いフワフワのドレスはウェディングドレスか。結婚前に死んだウィリのようにも。陶器の割れる音が鳴り響き、草笛の音がループする。緑ライトの下、奥壁のおぼろライトの前で、「アー」と叫び、「ハハハ」と笑い、「ハーハー」と喘ぐ。白い影は少女と死霊を行き来し、ハンガリー風の音楽で激しくパセティックな踊りを踊る。

後半はアイボリー・レースのスカートと袖なしブラウスに。シルエット時には美しい脚線が透けて見える。白いドレスを脱ぎ捨て、自分の殻を破ったのか。前半の舞踏のような表現主義的動きから、勅使川原メソッドに戻るが、佐東のパッションは続く。素早い勅使川原ステップ、美しいシルエットに、運動的熱量ではなく、内的エネルギーが迸る。最後は「遠い緑の楽園」に始まる言葉。ピアノの単旋律が流れ、「私の声は誰にも届かない、森の木々だけが聴いている、知っている」で終わる。

独自の身体技法探求、勅使川原メソッドのクリエイティブな応用、バロックと現代音楽手法の美的融合、さらに一連の西洋的美意識が自然に(自分の物として)提示される。ダンサーとしての成熟及び、クリエイターとしての可能性を強く感じさせる新作だった。イタリアのアテール・バレットに振り付けた作品は、どのようなものだったのか。他者への振付も見てみたい。