新国立劇場『リチャード三世』

鵜山仁の演出は幾つか見ているが、今回は鵜山の等身大の感覚や体臭に好感が持てた(10月19日 新国立劇場中劇場)。
『リチャード三世』は前にイアン・マッケランで見た。ヒヤリとする色悪系の造形だったような記憶がある。
岡本健一は愛されない不具の息子として、哀しみを内包した道化系のアプローチ。母の倉野章子に頭を抱きかかえられ、祝福ではなく、呪詛の言葉を耳に注がれる。ピエタの形を取ることで、この母子の絶望と嘆きが浮かび上がる。リチャードの最期は、シューマンの『子供の情景』が流れるなか、小さい木馬を頭上に、一人奈落へと降りていく。体は真っ直ぐになり、子供の魂に戻って。
鵜山の親密なリチャード解釈が、岡本の抱える一種の劣等感と響きあった舞台だった。
ヨーク侯爵夫人の倉野は異次元の芝居をしている。役を生きている、という言葉では言い尽くせないレヴェル。気品があり、匂いまで感じさせる。バレエで言えば、プリマの演技だった。