東京バレエ団『オネーギン』【追記】

東京バレエ団の『オネーギン』を見た(9月29、30日 東京文化会館)。
シュツットガルト・バレエ団で見、東京バレエ団の初演でも見、時々ガラでpddを見ている。いつも思うのはクランコは陽性だということ。カラッとしていて、マクミランの対極にある。作品の作り方が俯瞰的で、登場人物の内面に焦点を当てるよりも、ドラマ自体をクリアに立ち上げる。その点ではビントレーも近いが、ビントレーはもっと詩的で繊細。クランコは叙事的かも。
振付は、アンサンブルにはかわいくコミカルな踊り、pddにはアクロバティックな動きを多用する。後者はソビエト・バレエの影響だが、アンシェヌマンは込み入っていて、なおかつ軽やかな運動讃歌を感じさせる。
演出は英国系のリアルな演技を基本とする。ただしオネーギンとレンスキーの決闘が決まった時点で、突然シンボリックな演技+振付となり、決闘直前のタチヤーナ、オリガ姉妹とレンスキーのトロワも、モダン系のフォルム重視の踊りに。いつも唐突で驚いてしまうが、なぜ?
タチヤーナが鏡と向き合って腕を動かす演出(向こうで別のダンサーが同じ動きをする、背後にいるオネーギンが鏡から抜け出てきたように見える)は、ブルノンヴィルの『ラ・ヴェンターナ』を連想させる(05年ブルノンヴィル・フェスティバルでの上演)。同じ背格好の二人の女性が、スペイン風の踊りを表と裏で踊る。互いに見ることができないのに、完璧に動きが合っていた。最後に、裏のダンサーがほんの少し違う仕草で種明かしをしたが、観客の中には別人だと分かっていない人も。伝統芸の凄さ、それが維持保存されていることに感動した。クランコは見ているのだろうか?

ダンサーでは、タチヤーナの吉岡美佳が爆発した。3幕私室に引っ込んでから、ということはオネーギンの手紙を受け取ってからが素晴らしかった。夫グレーミンを引き留めて、愛の確認をする様子、夫が出かけると、意を決したように居住まいを正す。その気品。オネーギンが入ってきて、あの有名なpddが始まるが、pddが始まったとは思わせない。夫への愛とオネーギンへの想いに引き裂かれ、揺れ動く感情のままに動いているように見える。手垢のついた振付を、あれほど新鮮に踊れるのは、自分の手で振付解釈を行なっているからだろう。キリアンやベジャールを踊っていた姿を思い出す。吉岡のダンサー人生を凝縮したような凄まじい踊りだった。
もう一人は、オリガの小出領子。その音楽的で薫り高い踊り、抜きん出た技術は、普通のバレエ団であれば、プリマに位置づけられるはず。どのような経緯で選ばれたのか分からないが、『ダンス・ヨーロッパ』誌の2010/11シーズン世界のトップ100ダンサーに選ばれたとのこと(プログラム)。当然だ。小柄で丸顔なのでオリガへの配役だと思うが、そして完璧に役どころをこなして、観客に見る喜びを与えているが、タチヤーナでも素晴らしかっただろう。胸の熱くなるようなニキヤ、オデット=オディールを見たからには、そう断言できる。
吉岡にインスピレーションを与えたエヴァン・マッキーのオネーギンは、文句がなかった。ニヒルで知的。通り過ぎるだけで、冷たい風が吹き抜ける。ルグリの場合は演技の過程が見えたが、マッキーはオネーギンそのもの。現代を代表するダンスール・ノーブルだと思う。

追記
『ラ・ヴェンターナ』はロイヤル・デーニッシュ・バレエで今季、上演されるとのこと。デンマークロマンティック・バレエにおける、エスクエラ・ボレラ(escuela bolera)の影響を象徴する作品。エスクエラ・ボレラについては、一回スペイン・ガラで見たことがある。確か、ジョゼ・マルティネスが踊ったと思う(『三角帽子』を踊ったような気も、別の人かも)。タマラ・ロホによれば、プティパの『ドン・キホーテ』振付に多く取り入れられているとのことで、実際『ラ・ヴェンターナ』の踊りは『ドン・キ』と似ている。ブルノンヴィルもプティパも、同じようにスペイン古典舞踊に影響を受けたということ。19世紀は今以上にインターナショナルだったのだろう。世襲の劇場一族が各国を周っていたということも一つ。