井上バレエ団『ラ・シルフィード』『グラン・パ・マジャル』2024

標記公演を見た(7月20日 文京シビックホール 大ホール)。井上バレエ団は長年ブルノンヴィル作品に取り組み、作品上演のみならずセミナーも開いてきた。今回はブルノンヴィルの代表作『ラ・シルフィード』(団初演1999年)を、全幕版としては10年ぶりに上演する。同時上演は、同団バレエマスターの石井竜一による『グラン・パ・マジャル』。共にバレエ団の個性を生かした作品と言える。

幕開けの石井作品は2022年初演。グラズノフの『ライモンダ』から選曲し(音楽監修:冨田実里)、クラシックスタイルで振り付けられたシンフォニックバレエである。プリンシパルソリスト2組に、24人の女性と6人の男性アンサンブルが、晴れやかなフォーメーションを築く。主役の白色以外は水色の衣裳。水色地に黄と赤が混ざるパステル調バックドロップ(大沢佐智子)とよく調和し、水の中のような幻想的空間が描き出された。

振付はバレエ団のスタイルを重視し、きびきびとしたスタイル。「ロマネスク」から始まり「ギャロップ」で終わる選曲も素晴しく、石井の音楽的振付を通した『ライモンダ』組曲を存分に味わうことができた。初演時は中劇場だったので、ややフォーメーションが詰まった印象を受けたが、今回は広い舞台のため、動きの方向性がはっきりと見える。ダンサーたちも伸び伸びと踊っていた。

プリンシパルは根岸莉那と田辺淳。根岸は安定した技術にスタイルへの意識が加わっている。レヴェランスはもう少し井上流を望みたいが、成長の跡を窺わせた。田辺は根岸をよくサポート、エネルギッシュなマネージュで客席を沸かせている。ソリストの中堀菜穂子、藤井ゆりえ、川合十夢、加藤大和を始め、男女アンサンブルも、石井のノーブルスタイルをよく実現し、華やかなシンフォニックバレエを作り上げた。

ラ・シルフィード』は『ジゼル』と共に、ロマンティック・バレエを代表する作品。本家パリ・オペラ座版(1832年)の系譜は途絶えたが、ブルノンヴィル版(1836年)は改変を伴いつつも、原型を留め、19世紀中期バレエへの想像を促す。マイムはタンデュなしの自然体ながら、スパッと切り詰められた様式。踊りでは、細かいバットリー、滑らかな移動、プリパレーションなしの跳躍を、いとも容易く見せなければならない。ブルノンヴィル・スタイル習得の難しさは、マイムと踊りの両方に跨っている。

一方見る側にとっては、濃厚な演劇性に加え、ダンス自体の魅力も抗しがたい。今回の『ラ・シルフィード』においても、男性ダンサーの力強いソロ、シルフィードたちのほのぼのとした軽やかさ、スコットランド民族舞踊の粘り強い脚技に、思わず惹き込まれた。各国のバレエ団でレパートリー化される所以だろう。振付指導には元デンマーク・ロイヤル・バレエ団芸術監督のフランク・アンダーソンエヴァ・クロボーグが招かれ、アンダーソンによるプレトークも実施された。

主要人物はほぼWキャスト。初日当日のシルフィードには阿部碧、ジェイムズは浅田良和、母アンナには大長紗希子、婚約者エフィは野澤夏奈、農夫グエンに檜山和久、魔女マッジはマシモ・アクリという配役だった。

阿部は長い手足を生かし、伸びやかなラインを形成。細かいステップも正確にこなして、ヴァリエーションを見せ場とした。ただ役作りの点では、初役と言うこともあり、空気の精のはかなさや無邪気さを体現するまでには至らなかった。腕使いがアンサンブルと異なる点も気になる。主役として今後の研鑽に期待したい。対する浅田は、長年井上バレエ団のゲストとして主役を演じてきた。今回初役と思われるが、作品世界をよく理解し、控えめながら舞台を牽引した。ヴァリエーションの滑らかさは素晴らしく、トゥール・アン・レールは両回転を実施、グラン・プリエも深い。19世紀バレエのあるべき姿を披露した。

エフィの野澤は可愛らしく、グエンに乗り換える難しい役どころを自然に演じていた。ヴァリエーションも役の踊りになっている。そのグエンにはゲストの檜山。本来コミカルな役どころを、スタイリッシュに演じている。ヴァリエーションは繋ぎに不慣れな様子を見せたが、華やか。マッジにワインを供する時、ピッチャーとグラスをかち合わせるが、勢い余ってグラスを割ってしまった。本家の RDB でも見たことがあるので、よくあることなのか。マッジのアクリが巧みにさばき、グラスの破片は「リール」の前に、給仕2人によって片づけられた。

マッジのアクリはイタリア出身。来日後も様々な舞台でキャラクターダンサーとして活躍してきた。占い場面は対話が聞こえるよう。ジェイムズとの両腕対決は少し軽めに思われたが、全編を通して優雅なマッジを造形し、ジェイムズを悲劇に陥れた。アンナの大長は、ゆったりと人間味のある母親・伯母を演じている。エフィにグエンの申し出を受けてもよいか尋ねられた時の、全てを引き受ける佇まいが印象深い。

ファースト・シルフ松井菫、左右シルフ大橋日向子、小室紀香の柔らかく丸い腕使い、軽やかな足捌きが素晴しい。シルフ・アンサンブルもふわふわと湧き出るように森の空き地に集まり、夢のようなバレエ・ブランを現出させた。貫渡竹暁、長清智、持田耕史を始めとする男性ゲスト陣も、リール・アンサンブルに華やかな祝祭性を加えている。

指揮は冨田実里、演奏はロイヤルチェンバーオーケストラ。雄大グラズノフに、牧歌的なルーヴェンシュキョルを響かせた。後者は冨田の師匠である故堤俊作の十八番。メロディの抒情性はまだ師匠に及ばずだが、アレグロに闊達な個性を発揮した。