英国ロイヤル・バレエ団「ロイヤル・セレブレーション」『ロミオとジュリエット』2023

標記公演を見た(6月24日昼、30日 東京文化会館 大ホール)。昨夏にバレエ団公認「ロイヤル・バレエ・ガラ」を上演したが、バレエ団本体としてはコロナ禍を挟んで4年振りの来日である。プログラムは「ロイヤル・セレブレーション」と、マクミラン版『ロミオとジュリエット』。

 

「ロイヤル・セレブレーション」は、ウィールドン振付『FOR FOUR』、ズケッティ振付『プリマ』、アシュトン振付『田園の出来事』、バランシン振付『ジュエルズ』より「ダイヤモンド」(全編)という新旧世代による創作が並んだ。前半2作はドーリン振付『Variations for Four』と『Pas de Quatre』の現代版で、主役級が4人づつ名を連ねる。

モダンな語彙を含む『FOR FOUR』は、アクリ瑠嘉、マシュー・ボール、ジェイムズ・ヘイ、ワディム・ムンタギロフ、クラシカルな『プリマ』は、フランチェスカ・ヘイワード、金子扶生、マヤラ・マグリ、ヤスミン・ナグディという配役。バレエ団の中軸を担う実力派揃いで、難度の高いヴァリエーションを魅力的に見せる。特にボールとナグディの意志の強さ、作品を俯瞰する視線が印象的だった。前者の第1ヴァイオリン(シューベルト弦楽四重奏)、後者のソロ・ヴァイオリン(サン=サーンス協奏曲)は、ロイヤル・オペラハウス・第1ソロコンサートマスターのヴァスコ・ヴァッシレフが担当。舞台を力強く牽引した。

アシュトン晩年の傑作『田園の出来事』(76年)は、ツルゲーネフの戯曲が原作。ショパンの『ドン・ジョヴァンニ』(お手をどうぞ)変奏曲等(ピアノ:ケイト・シップウェイ)に乗せて演じられる。ロシア風というよりも英国風。感情の微細に揺れ動く精緻な演技が全編を覆い、ウィットとユーモアが時折り顔を覗かせる。登場人物達のくるくると回り込むぶつかり合い、少年コーリャのボール・ソロ、ショパンの技巧的変奏を視覚化したバットリー群に、振付家アシュトンの天才が感じられる。

主役のナターリアは同名のナターリア・オシポワ、恋の的となる家庭教師のベリヤエフにはウィリアム・ブレイスウェル、養女ヴェーラはイザベラ・ガスパリーニ、夫のイスラーエフはクリストファー・サンダース、息子コーリャはリアム・ボズウェル、崇拝者ラキーチンはギャリー・エイヴィス、家政婦カーチャはルティシア・ディアス、従僕マトヴェイはハリソン・リーという配役。

オシポワは人妻の倦怠感を出すには野性味が優るが、踊りのパトス表出で持ち味を発揮した。ブレイスウェルは女性3人の相手をする「無意識のドン・ジュアン」を控えめに踊る。ひと夏の恋よりも純愛志向の真面目さがあった。ガスパリーニは技巧的ソロと演技の両面でヴェーラを的確に造形、ボズウェルのソロは無垢な喜びにあふれた。周囲の面々はバレエ団の伝統をそのまま受け継ぎ、‟ロイヤルらしさ” を体現。サンダース、エイヴィスの演技は、高度に練り上げられた文化的コンテクストの存在を感じさせる。

『ジュエルズ』より「ダイヤモンド(全編)」(67年)の主役は、マリアネラ・ヌニェスと、リース・クラーク。ソリストには将来を嘱望される若手ダンサー8人が配された。チャイコフスキーの壮麗な音楽に乗せて、帝政ロシアバレエの輝きが再現されるが、あくまでも英国風。ソリスト、アンサンブルは柔らかなラインで統一され、角のない動きを見せる。ヌニェスの暖かさ、クラークの大きさが軸となり、透明なダイヤモンドを頂点とするバレエのヒエラルキー、ではなく、人間味を帯びた格差のないアンサンブルが出現した。締めくくりのポロネーズも一体感にあふれる。ヌニェスの献身性に導かれた舞台と言える。

指揮はクーン・ケッセルズ、シャルロット・ポリティ(『田園の出来事』)、演奏は東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団シューベルト四重奏は、前述のヴァッシレフに、戸澤哲夫、臼木麻弥、長明康郎)。

 

ロミオとジュリエット(65年)は8キャストのうち、4組目のナターリア・オシポワとリース・クラークを見た。丁度公演の中間に当たるが、主役から脇役、アンサンブルに至るまで、隅から隅まで演技していることに驚かされた。ケヴィン・オヘア芸術監督の熱い息吹を感じさせる。

主役のオシポワはかつてのような ‟全身エネルギー” という印象ではなかったが、自然な感情の発露、パトスの過剰な表出をそこかしこで見ることができた。3幕の感情の流れは濃厚で、ロレンスの庵に向かう前にマントをバシッと払った時は、いかにもオシポワと思わせた。パリスから退く夢遊病のようなパ・ド・ブレ、躊躇ない薬の飲み方、短剣の突き刺し方に、自然児オシポワの美点が見える。対するロミオのクラークは、奔放さを残すジュリエットをよく支え、ドラマの骨格を作り上げた。英国伝統のパートナーとして期待されているのだろう。

マキューシオはアクリ瑠嘉、ベンヴォーリオはジョセフ・シセンズだが、タイプとしては反対のような気がする。ティボルトはギャリー・エイヴィスで、ラキーチンとは対照的な役を巧みに演じている。マキューシオ刺殺は意図的ではなかったという演出を自ら付けていたが、本国でも許容されているのだろうか。パリスのルーカス・ビヨルンボー・ブレンツロッドは、絵に描いたようなパリスだった。キャピュレット公のクリストファー・サンダースも同じく。

指揮のクーン・ケッセルズが東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団を率いて、新鮮で行き届いたプロコフィエフを聴かせている。管の咆哮、弦の厚みが素晴しかった。

 

バレエ団はかつてのような多国籍スター軍団の趣はなく、ムンタギロフ、オシポワでさえもバレエ団の一員といった印象を受けた。英国社会を反映して様々な出自のダンサーが分け隔てなく配役される一方、立ち役・キャラクターの演技は、伝統を堅守する。将来サンダースの役どころを、アングロサクソンケルト以外のダンサーが演じる日が来るのだろうか。