国立劇場「能狂言の舞踊」2015

標記公演を見た(5月23日 国立劇場)。五耀會のメンバー、西川箕乃助、花柳寿楽、花柳基、藤間蘭黄、山村友五郎が出演、女優の鈴木保奈美がナビゲーターを務めた。鈴木はこの5年ほど、西川流を習っているとのこと。アフタートークの司会ぶりから、芸(術)の目利きであり、信奉者であることが分かった。
これまで見た五耀會の公演は、流派の越境に面白みがあったが、今回はその家に伝わる真っ向、正攻法の演目を並べた。結果、5人の個性が際立つ公演になった。
出演順に、山村友五郎は地唄『菊慈童』(山村愛伝承)。能の『枕慈童』を原典とした義太夫節(1756)を、地唄に移したもので、後半になぜか傾城の口説きが入る。歌詞や振りのテクスト比較はできないので、単にダンスとして見た訳だが、舞踏に近かった。腰を落としたまま舞う。体全体が撓んで、長身の友五郎がそうとは見えない。ほとんど同位置を保ったまま、体の質を変えるだけで異空間を作る。もし座敷で見たら(そんな贅沢なことはありえないが)、体ごと持って行かれるだろう。不思議な腰だった。
西川箕乃助は長唄『七騎落』。能の同名曲を基にした西川扇藏による創作物(1984)である。物語は古今変わらない日本人の心情に沿ったものだが、現代風に男性群舞があり、美術も抽象化されて、観客の想像力を刺激する。西川流の実力者たちの中に一人、藤間流の蘭黄が頼朝で入った。興味深かったのが、實平の箕乃助と蘭黄が主従ユニゾンを踊る場面。西川流のコンパクトで求心的な見えに対し、藤間流の見えは華やかでオーラが広がる。バレエで言えば、デンマーク派対ロシア派。ついでにブルノンヴィル(デンマーク)の細かい技巧は、花柳流だろうか。
花柳寿楽長唄『釣狐』。狂言の同名曲を基に二世壽楽が振付をした(1960)。歌舞伎舞踊の「釣狐物」とは異なり、九世三宅藤九郎から狐の技を学んだとのこと。これまで見た寿楽は、しっとりした二枚目を控えめに演じる、だったが、今回は面を付けて、杖を突く老僧となり、端々に狐の軽やかな身振りと口跡を示す熟練の舞踊手だった。体全体から飄々とした滑稽味と哀愁を漂わせる。陶然とした。
花柳基は常盤津長唄『身替座禅』。狂言『花子』を藤間勘右衛門が振付、1909年に六代目尾上菊五郎と七代目坂東三津五郎で初演された。運動神経抜群の基の右京と、蘭黄の玉の井ははまり役。蘭黄は立役の凄みを垣間見せながら、情が深く嫉妬深い奥方を大きく演じた。頼朝では気品が勝り、近代的自我を感じさせたのと対照的。本来は情念の人なのかも知れない。もし山村流を踊ったらどうなるだろうか。
最後は5人全員で清元『蜻蛉洲祭暦』。先ごろ急逝した藤間蘭景のために、1979年に書き下ろされた作品で、神世から現在までの日本の祭りを写実的に描く。5人のしめやかな踊りが蘭景を偲ぶようだった。
日本舞踊の普及を目指しているのか、字幕付きだったが、『菊慈童』では字幕を見ることができなかった。体を注視しなければならなかったから。他の作品で見ることができたのは、演劇性が強かったからだろうか。