東京バレエ団『真夏の夜の夢』他 2018

標記公演を見た(4月28,29日 東京文化会館大ホール)。上野の森バレエホリディの中核公演で、アシュトン版『真夏の夜の夢』とバランシンの『セレナーデ』のダブル・ビル。さらに前座公演の形で、『真夏』のみがファミリー公演(半額以下、オケ付)として上演されている。アシュトン(1904-1988)とバランシン(1904-1983)は同い年。優れた音楽性、新たな振付語彙の追求など共通点はあるが、アシュトンの方が演劇性に傾いている。バレエ団の今回のパフォーマンスも、音楽性を体現するアンサンブルにではなく、個々のソリスト演技に見るべきものがあった(『セレナーデ』は残念ながら、国内先行団体に対抗できる仕上がりとは言えない)。
真夏の夜の夢』は本公演、ファミリー公演を含めて3キャスト。座組みの良さが出たのが、ファミリー公演二日目の金子仁美(タイターニア)、秋元康臣(オベロン)、池本祥真(パック)、海田一成(ボトム)。いずれも規範に則った美しい踊りに、心得た役作りだった。金子には「気位が高くセクシーでちょっとクレイジー」なニュアンスがあった。これはオベロン初演のアンソニー・ダウエルが、アントワネット・シブリーのタイターニアについて語った言葉である(東京バレエ団ブログ)。秋元は堂々たる風格。アシュトンのハードに跳躍する振付を、正確に美しく踊りこなす。かつて橋浦勇版『眠れる森の美女』(日本バレエ協会)で踊った青い鳥を思い出した。鮮やかなバットリーはもちろん、跳躍の滞空時間と美しさに、客席はどよめき、拍手が終わらなかった。池本は秋元にふさわしいパック。飛形の美しさは、まさにアシュトンの意図した形。正統派の踊り手である。海田の冷静で的確なボトム造形には、客席の子どもたちが手拍子で応えた。
本公演のオベロン フリーデマン・フォーゲル(シュツットガルト・バレエ団)は、ダウエルの持つねっとりとした冷たさが乗り移っていた。あるいは元々そういう資質なのだろう。何をするか分からない倒錯的な色気がある。ダウエル初演ゆえのリスキーなバランスには少し苦労したが、アラベスクの美しさは素晴らしかった。対する沖香菜子のタイターニアは、愛らしさを前面に出した造形。沖の特徴は身体そのものが描く破天荒な世界にある。アシュトンよりもプティパで個性を発揮すると思われる。東京シティ・フィル率いるベンジャミン・ポープは、メンデルスゾーンの深い森を生き生きと描き出した。