ボリショイ・バレエ『スパルタクス』

今年2月に行なわれたボリショイ・バレエ来日公演から、『スパルタクス』評をアップする。

ボリショイ・バレエがセルゲイ・フィーリン芸術監督就任後、初めての来日公演を行なった。プログラムはユーリー・グリゴローヴィチ振付の三演目、『スパルタクス』『白鳥の湖』『ライモンダ』である。85歳になったばかりのグリゴローヴィチは昨秋、ボリショイ劇場改修後初のバレエ公演で『眠れる森の美女』を新演出し、改めて存在感を示している。三演目のうち代表作『スパルタクス』の二日目を見た。
本作はボリショイならではの勇壮な男性舞踊と、叙情的並びに妖艶な女性舞踊が全編を彩る、ソビエト・モダンバレエの傑作である。物語の舞台はローマ帝国時代、剣奴のリーダーとなったスパルタクスの反乱とその死が、妻フリーギアとの愛を交えて描かれる。
構成は登場人物の内面を映すモノローグ、愛のパ・ド・ドゥ、群舞が、それぞれ幕ごとに整然と配置され、古典的な明晰さを誇る。一方振付はキャラクター色の強いクラシックが基本、男性のダイナミックな超絶技巧が見せ場である。
上演アプローチとしては、初演時に意図された剣奴の苦悩と夫婦愛をクローズアップするバレエ・ドラマの方向性と、振付の様式性や造形美を重視する壮麗なパレード、言わば大ディヴェルティスマンの二つが考えられるが、当日は前者のアプローチだった。
スパルタクスのパーヴェル・ドミトリチェンコはその的確な解釈により、グリゴローヴィチ振付の真の姿を伝えている。胸を開く悲劇的な跳躍や、大きく鋭い回転技は、スパルタクスの苦悩や高潔な意志そのものだった。
群舞を統括するリーダーシップに加え、ロシア人ダンサーにしか見られない大地と結びついた宗教性、狂気と紙一重の崇高さを、ドミトリチェンコは身に纏っている。アンナ・ニクーリナの若妻風フリーギアとのパ・ド・ドゥはみずみずしい夫婦の情愛に満ち、その象徴である袈裟がけリフトでは、誇り高い男らしさがあふれ出た。
クラッススのユーリー・バラーノフはローマの司令官を、気の弱さを合わせ持つ一人の人間としてリアルに描き出した。また愛人エギナのマリーヤ・アレクサンドロワは、全てを引き受ける懐の深さを見せる。クラッススに寄り添う、愛情に満ちたエギナだった。
羊飼いや道化のグロテスク・アンサンブル、饗宴での美しい女性アンサンブルには、依然として振付の魅力がある。元芸術監督アレクセイ・ラトマンスキーは、ボリショイの歴史の一部としてグリゴローヴィチ作品を再導入したが、今回の公演で、地続きに経験された生きた歴史としてのレパートリー化を確認することができた。
パーヴェル・ソローキン率いるボリショイ劇場管弦楽団は、ハチャトゥリアンの叙情性をあまり重視しなかったが、ソリストのレヴェルの高さとダイナミズムで観客を驚かせた。(2月1日 東京文化会館)  『音楽舞踊新聞』No.2866(H24.3.21号)初出


実は、所見日前日のイワン・ワシーリエフ主演公演も見ている。グリゴローヴィチに「ウラジーミル・ワシーリエフからイワン・ワシーリエフに引き継がれた」と言われたと本人が語っているが、体の大きさはともかく、無意識のスケールが小さく、モダンな造型に思われる。丁度ミハイロフスキーに移籍したばかりで、周囲との連帯感もあまり感じられない。超絶技巧のみ記憶に残った。