新国立劇場バレエ団『ジゼル』

2月に上演された新国立劇場バレエ団の『ジゼル』評をアップする。

新国立劇場バレエ団がロマンティック・バレエの名作『ジゼル』を、7年振りに上演した。改訂振付はキーロフのK・セルゲーエフ、演出はシーズンゲスト・バレエマスターのデズモンド・ケリー(BRB)という、やや変則的な布陣である。
セルゲーエフ版はマイムを切り詰め、舞踊そのもので舞台運びを行なう。ケリーは枠組そのままに明確なマイム指導を加えることで、ドラマの細かい筋道を可視化した。前回指導の『ロメオとジュリエット』同様、アンサンブルが個人を生き切る全員参加型の舞台である。ウィリたちも伸びやか。古典的な様式性は後退したが、若い活気にあふれた舞台だった。
キャストは3組。ENB話題のコンビ、ダリア・クリメントヴァとワディム・ムンタギロフのゲスト組に、長田佳世と菅野英男、米沢唯と厚地康雄のバレエ団2組である(小野絢子、福岡雄大はBRB『アラジン』に出演のため不在)。
ベテランのクリメントヴァと若手のムンタギロフは、ほぼ20歳の年の差を全く感じさせない自然なパートナーシップを見せた。二人ともチェコとロシアという旧共産圏で生まれ、英国でキャリアを積み、教育を受けた共通点がある。優れた身体能力と正確な技術に、英国の細やかな演技指導が加わって、墨絵のような『ジゼル』を創り出すことに成功している。
クリメントヴァの透明で繊細な演技は、これ見よがしのないという言葉も不要。特に狂乱と二幕がすばらしく、その作意のなさは演技の一つの頂点を示している。じんわりと胸に迫るそこはかとない味わいに、カーテンコールは長く続いた。
一方ムンタギロフも、佇まいのみでノーブルな育ちの良さを窺わせる。二幕の悠揚迫らぬ踊り、鮮やかなのに、銀ねずのような渋さがある。久々の英国系ダンスール・ノーブルである。
初日の長田は一幕の真情のこもった演技に持ち味を発揮した。素朴で初々しく真実味がある。二幕終幕の別れも、アルベルトへの想いが体全体から漂い流れた。ただ二幕の踊りは、情熱を内に秘めた方がよかったかも知れない。
アルベルトの菅野も、誠実で一貫した役作り。清潔な佇まい、基本に忠実な踊りが、清々しい舞台を作り上げた。
バレエ団もう一人のジゼル米沢は、やはり俯瞰的な役作りを見せた。一幕は死者の昔語り、二幕が現在の姿に見える。終幕は能の身体。この世の者でないことを、演技ではなく境地で見せる。いわゆるバレエ的な表現ではないが、観客は米沢の舞台を、熱狂的に受け止めている。現在性を強く感じさせるからだろう。
対する厚地は、意外にも濃厚な役作りだった。言い寄るアルベルト。少し硬さも見られたが、スレンダーな身体で、大きな踊りを披露した。
ミルタは3週間前まで「ダイナミック・ダンス!」でスニーカーを履いていた厚木三杏、本島美和と、2週間前まで『タンホイザー』のバッカナーレを踊っていた堀口純。厚木は全てに行き届いた演技と踊り、本島は存在感の大きさと統率力で二幕の要となった。堀口は美しいが、まだ男を取り殺す腹がない。
ハンスは、言葉の聞こえるマイムを見せたトレウバエフ、人情味あふれる古川和則、熱血輪島拓也という配役。バチルド湯川麻美子、ウィルフリード田中俊太郎、清水裕三郎ははまり役。4組の村人パ・ド・ドゥのうちクラシックの様式性を感じさせたのは、江本拓と細田千晶の二人だった。
指揮は井田勝大。ややタイトなコントロールだったが、的確なテンポに覇気ある指揮振りで、東京交響楽団の持ち味である重厚な音を引き出している。(2月17、20、22、23日 新国立劇場オペラパレス)  『音楽舞踊新聞』No.2895(H25・4・1号)初出