新国立劇場バレエ団『パゴダの王子』2014

標記公演評をアップする。

新国立劇場バレエ団がビントレー版『パゴダの王子』を再演した。4年間務めたビントレー芸術監督の最終演目である。自身が才能を見出し育てたダンサー達が、総出で花道を飾った。初演は東日本大震災の8ヶ月後、2011年11月。離散した家族が数々の試練を乗り越えて再会し、国が健康を取り戻すというプロットは、バレエ団と共に震災を経験したビントレー監督の“祈り”だった。直接間接に被災した観客の心を慰め、勇気づける、劇場本来の役割を敢然と担った作品である。


今回は1月のBRB初演を経て、新国立オリジナルの優れたレパートリーとして立ち現れた。自然と深く結びついたブリテンの神秘的なバレエ音楽国芳、モリス、ビアズリーを引用したレイ・スミスの繊細な切り紙細工装置と美しい渦巻きチュチュ、沢田祐二のシックな照明、そしてビントレーの知的で深い音楽理解に基づく自在な振付と、ドラマトゥルギーに則った的確な演出が、21世紀の古典全幕を創り出した。


緩やかな袴姿でのトゥール・アン・レール、男女が互い違いのグラン・バットマンで奥に向かうフィナーレは、日本産バレエの象徴。幕開けの甕棺葬、子役を使った情緒あふれる昔語り、杖術での戦いが、観客の日常とバレエを違和感なく結びつける。ビントレーの日本への熱いオマージュが、バレエ団の貴重な財産を生み出した。


さくら姫、王子、皇后エピーヌの主役キャストは3組。そのいずれもが持ち味を発揮し、作品の多面的な可能性を明らかにしている。初日と最終日を飾った小野絢子、福岡雄大、湯川麻美子は、クリーンな技術を誇るファンタジー組。小野の可愛らしいユーモア、福岡の輝かしい若武者ソロ、湯川の怖ろしい突き抜けた存在感が、作品本来のお伽噺の味わいを醸し出す。終幕の美しい兄妹パ・ド・ドゥは、ビントレーが育てた稀有なパートナーシップの出発点だった。


二日目と三日目夜の米沢唯、菅野英男、本島美和は重厚なドラマ組。役柄の拠って来る所を考え抜き、そこに自らの実存を反映させる。米沢の視野の広い緻密な演技、妹への愛情を全身で表現するサラマンダー菅野のその場を生きる力、継子を憎まざるを得ない苦悩を滲ませる、本島の複雑な演技。この作品が『眠れる森の美女』の変奏であることを思い出させた。


三日目昼の奥田花純、奥村康祐、長田佳世は踊る喜びを感じさせるダンス組。共にパトスが強く、踊りの熱量が加算されて目眩くフィナーレに突入する。奥田の神経が行き届いた踊り、サポートに課題を残すが奥村の若々しい踊り、長田のダイナミズムが、三者初役の舞台を成功させた。


皇帝の山本隆之はノーブルで力強く、トレウバエフは誠実で少しコミカル。老いのペーソスを出すにはまだ体が若いが、持ち味を十全に発揮した。舞台の核となる道化には、暖かく思いやりのある福田圭吾と、シンデレラの義姉で達者な所を見せた郄橋一輝。前任者吉本泰久の献身性は福田、芸を見せるやり方は郄橋が受け継いでいる。


例によって女性アンサンブルが美しい。大和雅美率いる「星」、寺田亜沙子、堀口純率いる「泡」、「炎」の4人等、見応えがあった。男性陣はソリストを含め、どこか空ろな様子(二日目、最終日未見)。フィナーレは男女揃って躍動感あふれる踊りで、華やかに幕を閉じた。


芸術監督デヴィッド・ビントレーの功績は、第一に『パゴダの王子』というバレエ団オリジナル作品を創ったこと、さらにバレエ・リュス、バランシン、サープ作品、自作を組み合わせて、高度に批評的なトリプル・ビルを打ち出したこと、またダンサー個々の才能を育てることで、バレエ団を有機的な集団に変えたこと、そして団員の創作発表の場を作ったことにある。文学、音楽に造詣が深く、ダンサーと観客への愛情に満ち、劇場の社会的責務を可能な限り実践した、優れた芸術監督だった。


指揮はビントレー監督と共に劇場に尽くしたポール・マーフィー、演奏は東京フィル。三浦章宏のヴァイオリン・ソロが心に沁みた。(6月12日、14日昼夜 新国立劇場オペラパレス) *『音楽舞踊新聞』No.2931(H26.7.11号)初出