新国立劇場バレエ団『ファスター』『カルミナ・ブラーナ』2014

標記公演評をアップする。

新国立劇場バレエ団が芸術監督デヴィッド・ビントレーの作品で二本立て公演を行なった。12年初演の『ファスター』と、95年初演の『カルミナ・ブラーナ』である(共にBRB初演)。前者はロンドン・オリンピックに因んだ新作、後者は05年に新国立が導入し、08年の同団初振付作品『アラジン』や、10年の芸術監督就任への端緒を開いた記念碑的作品である。


幕開けの『ファスター』は昨年の『E=mc2』とほぼ同じスタッフによる。M・ハインドソンの委嘱曲―後期ロマン派、原始主義音楽、ミニマルミュージックのエネルギッシュな複合体―に、ビントレーの音楽性が隈無く反応し、変拍子の微細な極みまで振りが付けられている。ハインドソンの新曲とがっぷり四つに組むことが、ビントレーの現在の興味なのだろう。


アスリートの運動やフォルムをモチーフにした具象的な振付、怪我に苦しむ女性選手と、それを支える男性選手の表現主義的なパ・ド・ドゥ、全員走り+競歩のデジタルなフォーメイションによる三部構成。ダンサー達のアスリートの側面を鍛えることがビントレー監督の目標の一つだったが、まさにそのものズバリの作品である。


パ・ド・ドゥ担当の「闘う」はWキャスト。初日の小野絢子・福岡雄大はラインの美しさと双子のようなパートナーシップ、二日目の奥田花純とタイロン・シングルトン(BRB)はダイナミックな切れ味と苦悩の深さで、振付の両面を体現した。「投げる」福田圭吾の力感、「跳ぶ」本島美和の美しいフォルム、同長田佳世の意識化された脚、同菅野英男の盤石のサポート、また「マラソン」五月女遥の優れた音楽性と細かく割れた身体、同竹田仁美の幸福感あふれるランナーズ・ハイも印象的。ダンサー達は危険と隣り合わせのミリ単位のフォーメイションを、音楽と寸分違わず走り続けて、ビントレーの4年にわたる薫陶の結果を明らかにした。


カール・オルフが37年に発表した劇的カンタータカルミナ・ブラーナ』の舞踊化はビントレーの宿願だった。今回はバレエ団三度目の上演。オーケストラ、声楽ソリスト、合唱団がピットに集結し、大音量を響かせるのが公演の大きな魅力である。中世の遍歴神学生の歌を、60年代英国の神学生3人が追体験するという演出。神学生の黒詰め襟や、黒髪おかっぱ頭が頻出するせいで、日本人の我々にも妙な懐かしさを感じさせる。3人はそれぞれ、ダンスホール、ナイトクラブ、売春宿で未知の体験を繰り広げるが、全ては失望に終わる。運命の女神フォルトゥナの掌の上で弄ばれただけだったのだ。ハイヒールを履いて目隠ししたフォルトゥナの重心の低い踊り、神学生たちの空手の型に似た踊りが作品の表徴、真似をしたくなるほど格好いい。


フォルトゥナはWキャスト。三度目の湯川麻美子は鮮烈な動きと気迫のこもった演技で、はまり役に円熟味を加えている。神学生3の長身シングルトンを相手に、平然と姐御風の啖呵を切ってみせた。一方、初役の米沢唯はあどけなさを残すものの、運命の女神そのものだった。役を生きている。冒頭の踊りは線が細いが、ゴムのように伸びる感触を振付に加味。赤ドレス・ソロや、福岡(神学生3)とのパ・ド・ドゥはなぜか和風、四畳半の匂い。福岡の肉体が清潔だったせいか、出征前の兵士と娼婦のようにも。エスパーダと街の踊り子で組んだ際の丁々発止を思い出した。


神学生1では、菅野の純朴さ、奥村康祐の甘さ、小口邦明の真面目、神学生2では、八幡顕光の技巧、福田の熱い存在感、古川和則の自在な演技を楽しむことができた。また空手の型では、福岡、福田、小口に見る喜びがあった。トレウバエフを筆頭に、不良青年たちの活きのいい踊りが、ビントレー時代の挽歌のように響く。もう羽目を外すことは許されないのだ、と。


ソリスト歌手は安井陽子、高橋淳、萩原潤。新国立劇場合唱団と東京フィルがP・マーフィ指揮の下、舞台を強力に支えた。(4月19、20、25日 新国立劇場オペラパレス) *『音楽舞踊新聞』No2928(H26.6.11号)初出