杉昌郎・関直人『ゆきひめ』@井上バレエ団「アネックスシアター」2015

杉昌郎・関直人振付の『ゆきひめ』を見た(4月4、5日 世田谷パブリックシアター)。小泉八雲の『雪女』を基に、ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』の1幕前奏曲と「愛の死」を用いた1幕物。井上バレエ団創立者井上博文が72年、杉昌郎に日舞版のバレエ・ブランを依頼。初演は若者のみがバレエダンサーだった。83年に関直人がバレエ版を作り、その後、ゆきひめのみを日本舞踊家が踊る版も作られた。今回はバレエ版で、初日ゆきひめが日本舞踊家の花柳和あやき、二日目が田中りな、若者は両日とも荒井成也が踊った。
冒頭、両手から、白い半透明の「かつぎ」をかぶったロマンティック・チュチュの雪の精たちが入ってくる。二人、三人と、一見ランダムに入るように見えて、ここしかないというタイミング、場所で止まる(日舞のフォーメイション風)。また一斉に「かつぎ」を翻して諸肌を見せたり、「かつぎ」を広げて壁を作ったりと、日舞の衣装遣いが見え隠れする。音楽と振りの関係も、リズムを逐一合わせるのではなく、楽想と感情を合わせる日舞風のやり方。バレエ版には日舞版のニュアンスがかなり入っているように思われる。一方、ワーグナーの濃密な音楽を完全に使い切ることができたのは、関の抜きんでた音楽性によるものだろう(日舞版は未見だが)。音楽を体に入れると、自然に振付・フォーメイションがこぼれ出る。井上博文の実験性とバレエ・ブランという、バレエ団のアイデンティティに深く関わる優れたレパートリーだった。
初日ゆきひめの和あやきは高密度の踊り。切り詰められた動きで感情の襞を表す。一つの手に無数の動きが集約されているのが分かる。若者を取り殺そうとした時の晴れやかなフォルム、若者が雪女のことを口にした時の体の豹変。カーテンコールまで緊密な体だった。二日目の田中は精霊風の造形だったが、ゆきひめの凄みを出すには若過ぎたかもしれない。一方、若者の荒井が新境地を拓いた。もともと技巧派として活躍していたが、これほど濃厚なパトスを出せるとは思わなかった。関直伝の正統派ダンスール・ノーブル。あくまで女性を立てるあり方は、現在ではほとんど見ることができない(NYCBには残っている、国内ではこの間まで齊藤拓で見られた)。伝統的な様式として受け継いで欲しい。