柳下規夫×能藤玲子@現代舞踊協会

標記の二人が共演した訳ではなく、ここ2回の現代舞踊協会公演で、衝撃を受けたダンサー兼振付家を並べたのだ。柳下規夫は「男たちが描く愛と調和の時代」(3月17日 東京芸術劇場プレイハウス)、能藤玲子は「モダンダンス5月の祭典」(5月20日 めぐろパーシモンホール)。柳下は藤井公・利子門下の異端児、能藤は邦正美門下の正統派と両極だが、現代舞踊(協会)のアイデンティティを外部に知らしめる才能である。
柳下作品『冷たい満月』は、副題が「ニジンスキーの影に翔る」。自らをニジンスキー、古典バレエダンサーの川口ゆり子をカルサヴィナに見立て、コール・ポーターの音楽で、魔訶不思議な世界を紡ぎだす。柳下は2014年「ダンス・アーカイヴ in JAPAN」(新国立劇場)において、大師匠の小森敏振付作品『タンゴ』を洒脱に踊って、融通無碍の境地を示したが、今回はあまり動かず、病を得た後のニジンスキーのように微笑みながら佇むことで、同境地を実現した。金盥をかぶる、タイツが股引に見える点も魅力。白雪姫のようなドレスをまとった川口は、かつてのハリウッド女優のようなゴージャスな雰囲気を漂わせながら、柳下の振付を正面から実行した(ポアント使用)。腕使いのみで『薔薇の精』の物語を伝えることができる。その真摯な踊りは、大ベテランとなった今でも、新たな挑戦を続けていることの証である。周囲の女性ダンサーたちは、ピカソ風のふくよかな体型。牧神となった柳下を母のように見守る。振付はジャズ・ダンス風だが、気合を入れない、風になびくような踊り方。常に観客と正対するのも変わっている(柳下作品そのものがそう)。ダンサーたちの柳下に対する尊敬の念は、千石イエスと方舟の女性たちを思い出させる。生きることと踊ることが一致する、柳下の細胞が行きわたった作品だった。
能藤作品『霧隠れ』は、山下毅雄の音楽(『魔の女たち』オリジナル曲、80年)を使用。ギリシャ悲劇を思わせる原初的な情念の世界を、研ぎ澄まされた空間・時間構成で立ち上げる。語彙はモダンダンスのみ。美意識という甘い言葉を退ける、能藤の知と感覚のすべてが肉化された作品。能藤は女を、ただ歩を進めるだけで顕した。表現主義舞踊の粋。舞踏とも、現代能とも言えるが。ミノタウロスのような男を追い、全身で怒号する。そのフォルムの強さ。男には武術風の低重心振付を、コロスの女たちには、気の統一されたソリッドな振付を施している。手触りが石の肌のような作品。モダニズムの極致だった。