牧阿佐美バレヱ団『ドン・キホーテ』2017

標記公演を見た(6月10,11日 文京シビックホール)。演出・振付はアザーリ・プリセツキーとワレンティーナ・サーヴィナ。1989年の導入以来、再演を重ねる重要なレパートリーである。プリセツキー版の特徴は、幕ごとのカーテンコールが残され、昔ながらの劇場の雰囲気を味わえること。マタドールたちが足を踏み鳴らして見得を切るなか、登場人物が次々とレヴェランスをする。もう一つは、キトリ父の人間味。酒場での狂言自殺の後、バジルと杯を交わして和解する場面が微笑ましい。全体にあっさりとした演技で、エネルギーよりも品格を重んじる指導を窺わせる。
主役は2組。キトリ初日は青山季可、バジルは菊地研、二日目は阿部裕恵と清瀧千晴という、ベテラン組と若手組の好対照である。新人の阿部は今回が主役デビュー。女性ソリストにも若手が起用され、次代を睨んだ布陣が敷かれている。
初日の青山は近年、オーロラ姫、金平糖の精、『飛鳥』の金竜等で隙のない踊りを見せ、優れた古典ダンサーであることを証明している。ただし本来は、ジゼル、シルフィード、リーズを得意とするロマンティック・バレリーナである。佇むだけで暖かい微風が吹いてくるような、微笑みでその場を祝福するような資質は、青山の生まれながらの性格と優れた文学的感性が生み出した、得難い個性である。前回のキトリでは、こうした資質を遺憾なく発揮して、舞台を晴れやかなオーラで染め上げたが、今回はなぜか1、2幕を古典的アプローチで終始した。何か考えがあってのことだとは思う。が、3幕では打って変わり、いつもの全身が微笑むような暖かな踊りで、舞台のみならず客席までも祝福、それに応えるように、天井から大きなブラヴォが降り注いだ。観客もようやく現れた青山本来の姿を喜んでいるようだった。
対する菊地は、肩の力が抜けたことで、却って男らしいバジルになった。以前よりも逞しさが増したようだ。二日目には、本当に闘牛をしかねないほどの覇気あふれる踊りで、ニヒルエスパーダを造形し、バレエ団の主軸としての気概を示した。
キトリ二日目の阿部は、昨年新国立劇場バレエ研修所を卒業した若手注目株。小柄ながらエネルギーにあふれ、優れた音楽性と技術の確かさは、研修所時代から際立っていた。今回の大役では、さすがにまだ体の柔らかさが目立ったが、思い切りのよさ、緻密な音取りは、次代を担う逸材であることを示している。対する清瀧は、いつの間にか大人の色気を醸し出すようになった。踊りの美しさにも磨きがかかり、持ち味の高い跳躍も相変わらずの素晴らしさ。余裕すら感じさせた。
女性ソリスト陣では、街の踊り子 日高有梨の大きな踊り、同じく中川郁の明るく若々しい踊り、森の女王 茂田絵美子の端正な踊り、キトリ友人 織山万梨子、米澤真弓の行き届いた踊り、酒場の踊り子 三宅里奈の美しいラインと、多彩な才能が脇を固める。若手では、キューピッドの太田朱音が伸びやかな踊りを披露した。
男性陣は、ドン・キホーテの保坂アントン慶、サンチョ・パンサの細野生・橋本哲至、ガマーシュの今勇也が、ややノーブル寄りの喜劇性を示す一方、熱きダンスール・ノーブル森田健太郎が、包容力のある慈愛に満ちたキトリ父を造形した。また、エスパーダ、ジプシー首領、ボレロを踊ったラグワスレン・オトゴンニャムの、美しいラインと明快なマイムが印象深い。男女アンサンブルは、音楽的、様式的に揃っている。その中で、マタドールとファンダンゴを踊った坂爪智来のノーブルな踊り、セキジリア 田村幸弘の闊達な踊りが一際目を引いた。
指揮は円熟のデヴィッド・ガーフォース。東京オーケストラMIRAIを率いて、品格ある舞台作りに貢献している。