大植真太郎 @ d-倉庫 「ダンスがみたい! 19 『白鳥の湖』」 2017

標記公演は、10組のダンサーがバレエ『白鳥の湖』をモチーフに創作する企画。昨年の「エリック・サティ」は曲が広範囲にわたり、一昨年の『春の祭典』は全曲を加工することなく使う、という難しさがあった。今回は『白鳥』の音楽、または物語をどのように取捨選択するか、演出のバラエティが予想される。10組のうち、上杉満代『白鳥湖〜わたしの遠景〜』(7月22日)、C/Ompany『inspiration/delusion of SWAN LAKE』(7月23日昼)、川村美紀子(7月28日)を見た。上杉のバレエへの郷愁を滲ませた舞踏作品、川村の緻密に構成された『白鳥』批評(ヨーデルと濁声を合わせた歌が素晴らしい)は正攻法で、それぞれ感情、脳と神経に訴えたが、C/Ompany主宰 大植真太郎の演出は破天荒で、体に来た。
出演は児玉北斗。使用テクストは異なるが、3月に行われた児玉の東京ワンダーサイト公演と似ている。在籍中のストックホルム芸術大学における修士論文のプリゼンテーションを公演化したもので、ほとんど講義のような、たまに水を器に入れたり、少し踊ってみたり、という作品だった。今回は『白鳥』への言及もあったが、最大の違いは、初夏の炎天下、午後3時半開演にもかかわらず、劇場のクーラーを切ったことである(しかも客電は40分ほど付いたままで、ライトが舞台と客席を直撃した)。児玉は軽妙なトーク術と、母性愛をくすぐる道化芸を持ち合わせている。当初は女性たちのクスクス笑いを勝ち取っていたが、室温が上がるにつれて互いに余裕がなくなり、児玉はやり切ること、観客は暑さを耐え忍ぶことに集中するようになる。レヴィ=ストロースラカンの言葉も朦朧として聞けず、寝る人、あらかじめ配られた水(常温)を飲む人、扇子であおぐ人、時計を見る人、が続出した。そう言えば、児玉は開演前の注意事項で「眠くなったら、寝てください、僕は少しやりにくくなりますけど」と語っていた。つまり予想された劇場空間だったのだ。
アフタートークにおいて、“音がうるさいのでクーラーを切り、舞台と同じ空間を体験して貰おうと客電を付けたままにした”のは、大植だと分かった。大植は修行僧のように自分を追い込み、時に袋小路に入ったりしながら、共演者も追い込んでいく振付家である。今回は観客も追い込まれたが、実は児玉を追い込む演出だったのではないか。小道具をかわしながらのソロは、児玉の地力を示すものだった。脱力した自然体の体、柔らかい股関節、軟体動物のようなクネクネ動きに、少年のような清潔さと知的ペーソスがあふれる。児玉の身体からしか生まれない固有のダンスだった。
当初は大植と児玉の二人が出演する予定だった。油と水、硬質と軟質、袋小路と明晰。対照的な二人が、どう絡みうるか見たかった。大植のお茶目な狂気が、児玉の涼しげな理論を破壊しただろうか。それとも大植の剛腕を、児玉がヒョイヒョイとかわしただろうか。『白鳥』で言えば、ロットバルトと王子、家庭教師と王子、王子と道化、王子とベンノ、などの組み合わせが考えられる。
帰る道すがら、体がオーバーホールされたような気分になった。サウナ効果か。面白い空間、体験だった。ただし、前列の人から「そんなに暑かったですか?」と訊かれたので、後列の観客特有の体験だったかもしれない。