新国立劇場バレエ団『ホフマン物語』2024

標記公演を見た(2月23, 24昼, 25日 新国立劇場 オペラパレス)。ピーター・ダレル振付の『ホフマン物語』は、1972年スコティッシュ・バレエで初演された。75年にSBに入団し、プリンシパルとして活躍した大原永子は、新国立劇場芸術監督2年目の2015年に本作を導入。18年の再演を経て、今回が6年振り3度目の上演である。吉田都現監督は今季プログラムを「歴代監督へのオマージュ」とし、大原前監督に現役時代の当たり役であった本作を捧げている。

オッフェンバックの同名オペラを原作とする『ホフマン物語』は、オペラ劇場での上演にふさわしく、英国系レパートリーを擁するバレエ団にとって、ダレルの振付家としての位置取りを知る貴重な作品である。アシュトン群舞の影響や、クランコとの劇場トリックの共有(はミラーダンス、はボディダブル)、また同い年のマクミランとは、強烈な相互関係があるように見える。公演直前にパリ・オペラ座バレエ団の『マノン』(74年)を見る機会があったが、『ホフマン物語』からの影響を強く感じさせた(3人の友人→3人の紳士、スパランザーニの空中前転 → 乞食リーダーの同じく、ジュリエッタの男性陣リフト → マノンの同じく)。ジュリエッタのリフトはイーグリングの『くるみ割り人形』におけるアラビアへ、さらにスパランザーニの子分2人、ダーパテュートのミニョン2人は、ビントレーの『シルヴィア』におけるジルベルトとジョルジュ、ゴグとマゴクに生まれ変わっている。

その上で今回は、ケン・バークと共にステージングを担当した大原前監督に、ダンサーと観客が感謝の気持ちを表明できたことが重要だった。2022年2月、コロナ禍で『マノン』が途中で打ち切りとなり、劇場は封鎖。一時英国に戻った前監督は、ロックダウンで再来日が叶わず、そのまま監督の任を終えた。その後『ジゼル』新制作観劇に来日するも、正式の挨拶はなく、今回初めてカーテンコールで団員と共に舞台に上がり、初日ホフマンの福岡雄大から感謝の花束が贈られることとなった。本人が監督だったら起こり得ない光景だが、功績を讃える場は劇場の歴史を紡ぐ上で重要である。観客は歴史の一場面に立ち会い、前監督への感謝の気持ちに胸を熱くする機会を得ることができた。

主役ホフマンは3キャスト。初日の福岡雄大は熱血ストイックな気質をそのまま投影する。2幕ロシアンPDDの力強さ、3幕修道者の引き裂かれるような苦悩に本領があった。老け役には馴染まない若々しさがある。二日目の井澤駿はロマンティックなタイプ。1幕の華やかさ、2幕の情熱、3幕のダイナミズムをゆったりと演じ分けている。最終日の奥村康祐は、1、3幕の無垢な味わいに個性が見える。4人の女性を受け止め生かす柔らかさがあり、5つのパートを柔軟な体で流れるように結び付けた。

リンドルフ/スパランザーニ/ドクターミラクル/ダーパテュートは2キャスト。初日の渡邊峻郁は持ち味を生かした色悪風の造形。1幕のコメディは納まりが悪いが、3幕の妖しい色気は際立っている。ドラキュラ伯も出来そうだ。二日目・最終日の中家正博は悪魔そのものだった。1幕のコミカルな演技と、動きの突き抜けた鮮やかさ、2幕のゾッとさせる冷やかさ、3幕の重厚な肉体、さらにエピローグの光線を放つ指差し。はまり役である。

オリンピアの池田理沙子は、少し硬さが見られたが、可愛らしい人形ぶり、奥田花純はホフマンの目(眼鏡装着)に見えるオリンピアを、人間味、情味のある踊りで演じている。アントニアの小野絢子は抒情的で嫋やかな演技。PDDではプリマの貫禄、古典の粋を見せつけた。同じく米沢唯は情感豊か、PDDの踊りには艶があり、スラブ風ソロは残像深く、後々まで音楽が耳に残った。ジュリエッタの柴山は久しぶりに本領発揮。体の美しさを生かした優美な踊りで、アタックも強く、地力が見える。木村優里はやや迷いがあるか。別日配役ラ・ステラの演技にも言えるが、主役は ‟与えること” が仕事である。もう少し自立した演技が必要だろう。

最終日の米沢ジュリエッタは円熟の極み。優れた技術、考え抜かれた演技、踊りの艶が打ち揃い、素晴らしい造形へと導いた。かつて本島美和が高級娼婦と観音様を合わせたような、今思えば和風のジュリエッタを見せたが、米沢は娼婦と聖女の洋風。体の質を ‟気” によってではなく、長年の鍛錬によって変えている。リフトする男性陣も貴重品を扱うような手つきだった。

ホフマン友人は、①速水渉悟、森本亮介、木下嘉人、②石山蓮、小野寺雄、山田悠貴。速水の圧倒的な踊り、森本は少し硬さが見られたが端正な踊り、木下の役の踊り、石山の覇気あふれる踊り、小野寺のずっしりとした踊り、山田の華やかな踊りと、見応えがあり、今後の配役に期待を抱かせる。スパランザーニ召使いは、ベテランの福田圭吾を始め、宇賀大将、小野寺、菊岡優舞が、熱くコミカルな演技と踊りで1幕を献身的に支えた。

ラ・ステラは木村と渡辺与布、共に華やかで適役。渡辺は名前通り、プリマ(ドンナ)のパワーとエネルギーを出待ちの人々に与えている。お付きの今村美由紀は巧みな造形。お金を貰って主人を裏切る後ろめたさを、ミリ単位で表わしている。益田裕子は個性を生かし、ややクールなお付きだった。アントニア父は中家と小柴富久修。懐深く、厚みのある中家に対し、小柴は暖かく優しい父親像を描き出す。体全体から人の好さが滲み出た。カフェの主人はベテランの内藤博が、少し控えめに務めている。

幻影たちは、①飯野萌子、直塚美穂、廣川みくり、②中島春菜、金城帆香、花形悠月、男性陣は、渡邊拓朗、太田寛仁、仲村啓。全員が初役で個性を発揮、幻影性は後退し、元気のよさが前面に出た。特に直塚。渡邊は大きさ、太田は穏やかさ、仲村はノーブルな晴れやかさで、女性陣をサポートしている。幻影アンサンブルはよく揃い、トップ森本晃介の美しいエポールマン、誠実なサポートが目についた。

初日は舞台全体に硬さが見られたが、徐々に暖かな血が流れ始め、最終日は小野、米沢の2大プリマが実力を遺憾なく発揮する充実の舞台となった。1幕のコメディ・アンサンブル、2幕の抒情的アンサンブル、3幕の官能的アンサンブルも、日を追うごとに生き生きと息づき、大原前監督の熱血指導を明らかにしている(監督時代はもっと厳しかったと思われるが)。

指揮はポール・マーフィ、管弦楽は東京交響楽団。こちらも徐々に熱が加わり、オッフェンバック音楽による劇場の楽しさを伝えている。