10、11月の公演感想メモ(旧Twitter)2023

NBAバレエ団ジュニアカンパニー公演。エリザレフ版『エスメラルダ』第2幕と『パキータ』の演出・指導が素晴しい。前者のフランス風群舞とドラマ性、後者のスペイン風群舞と技巧。本公演でも見たい。岩田雅女振付『Schritte』は女性群舞のコンテ作品。師匠矢上恵子譲りのパワフルな語彙が炸裂。12月『ドン・キ』夢の場PDDも期待。団員ゲストでは、グランゴワール伊藤龍平の的確な役理解とノーブルな踊りが印象深い。(10/8 所沢市民文化センターミューズ マーキーホール)10/9初出

 

アルテイソレラ『恋の焔炎』。花道、すっぽん、セリを駆使したフラメンコ創作集。フラメンコギターは当然として、義太夫津軽三味線、和太鼓、附け打ちをフラメンコの変拍子に強引に巻き込む佐藤浩希の熱い演出・振付が素晴しい。本人もソロを踊ったが、むしろ奏者と並び、パルマと掛け声で演者を駆り立てる姿に本来がある。

8作それぞれ味わい深く、中でも鍵田真由美の玉手、松田知也の俊徳丸ははまり役。低重心の念仏群舞と共にフラメンコベースの『玉手』を作り上げた。おくだ健太郎の直前解説も間合いが絶妙で、舞台の虚構を崩さない。津軽三味線の浅野祥が朗々と自作を歌い上げれば、カンテの中里眞央が強度の高い声を肚から発信。二人の伸びやかな歌声に顔がほころんだ。ゲスト権弓美の立体的なフォルム、松田の両性具有の美しさが印象深い。(10/18 日本橋公会堂)10/22初出

 

*昨年88歳で亡くなった山田奈々子のメモリアル公演。9人の弟子と、縁の深いゲストが出演。折原美樹は山田経由の高田せい子作『母』と自作、三浦一壮は父五郎から山田に伝えられたダルクローズのリトミック『20ジェスチャー』、妻木律子は山田作『声なき声のレクイエム』(89年)を山田の弟子2人と、川村美紀子は『愛の讃歌』をヨーデル=ラップ風に歌い踊る。最後は弟子たちと山田の映像がリンクする『曼殊沙華』(98年)が捧げられた。

折原のパトス、三浦の飄々と世界と対峙する深い身体性、妻木の強烈なフォルムと音楽性、川村の比類ない声が、山田を追悼。生前の豊富な映像を作品と絡めた構成が素晴らしい。山田の愛情深さを彷彿とさせる愛情のこもったメモリアル公演だった。 山田がダルクローズの「20ジェスチャー」をNYのダンサーに教える映像が興味深い。ベートーヴェンの『月光』をバックに、20のジェスチャーが呼吸やニュアンスを取り入れて ‟踊り” へと変わっていった。(11/2 俳優座劇場)11/7初出

 

カラス アパラタス アップデイトダンス100回記念『素晴らしい日曜日』。演出・照明は勅使川原三郎、出演は勅使川原、佐東利穂子、ハビエル アラ サウコ。前回の『ワルツ』(未見)に続く布陣だが、全く違う踊りだろうと思う。ダンスの芽、ダンスになる前の動きが、雨音と共に延々と続く。3人は距離を置いて、しかし互いの気配を感じ取りながら"いごいご”と動く。それぞれの思考を味わうような公演だった。

面白かったのはハビエルの存在。いつも二人で踊っているところに、新局面が差し込まれる。特に佐東は自由に踊っている印象。最後は勅使川原と二人になるが、急に体が硬くなり、亭主関白夫の良き伴侶となった。勅使川原は気付いているだろうか。佐東の演出・振付で勅使川原が踊る可能性はあるだろうか。(11/5 カラス アパラタス)11/7初出

 

東京シティ・バレエ団「シティ・バレエ・サロンvol.12」。スタジオカンパニーダンサーを中心に振り付けられた創作集。濱本泰然振付『B possibility』、キム・ボヨン改訂振付『ラ・バヤデール』第2幕、松崎えり振付『kukka』、草間華奈振付『百花繚乱』と、古典バレエからコンテンポラリーまで並ぶ。ゲストの松崎作品は、ダンサーにとって初めてのダンススタイルだったのでは。自分の体を受け入れながら、音楽と呼吸をシンクロさせていく。鈴木百花とキム・キョンロクのパセティックなデュオが素晴しかった。鈴木の暗い情念、キムの相手と関わる人間的強さ、両腕の伸びやかさが印象深い。

濱本作品は濱本らしい美しいスタイルが徹底されている。場面や人物の関係性など分かりにくさも残るが、白組の古典美、黒組のパトス、金の女神と、イメージが明確。細やかな指示がダンサーに施されている。ここでも鈴木の艶のある存在感が印象的。ピエロの山畑将太は儚げだった。『ラ・バヤデール』のガムザッティは求心的な踊りの根岸茉矢、ソロルの大川彪は腕と上体が美しく、感情のこもったサポートを見せる。黄金の仏像、壺の踊りからアンサンブルまで、キムの古典指導が行き届いていた。最後の草間作品は華やかな衣裳で伸びやかに踊られるシンフォニックバレエだった。(11/12 豊洲シビックセンターホール)11/14初出

 

新国立劇場バレエ団「Young NBJ GALA」ドゥアト振付『ドゥエンデ』。ニジンスキー作『牧神の午後』の変奏で、現代の牧神とニンフが森で戯れる。若手中心のため歴代と比べるとやや薄味だが、その中で最も牧神を感じさせたのは石山蓮。PDD集のソロル同様、音楽的で覇気あふれる踊りを見せる。振付のあるべき形を体で理解できるのは、東バの牧神、大塚卓と同じ。もう一人は、強靭なポジションから無意識の動きを繰り出せる森本晃介。深いプリエと力感みなぎる両腕は武術を思わせる。真摯なサポートも美点の一つ。西一義の知的な牧神も印象深い。自身の思考の形が見える踊りだった。

PDD集で全幕を見たいと思わせたのは、吉田朱里と仲村啓の『ジゼル』第2幕より。長身カップルゆえのライン美も長所と言えるが、何よりも精緻な踊り、深い役理解、真っ直ぐな舞台姿勢に胸打たれた。1幕を踊るとどうなるのか、様々に想像させる。(11/25, 26 新国立劇場中劇場)11/27初出

 

新国立劇場バレエ団『ドン・キホーテ』2023

標記公演を見た(10月20, 21昼, 22夜, 27昼, 28日昼夜 新国立劇場オペラパレス)。3年振り10回目の上演である。今回は改訂振付の元ボリショイ劇場バレエ芸術監督 アレクセイ・ファジェーチェフが来日し、直接指導を行なった。最大の変化は脇役陣の演技。一分の隙もなく、同時多発芝居を遂行する。ガマーシュとロレンツォがこれほど密に絡んでいたとは。アンサンブルの動きも生き生きとリアルだった。

4年目に入った吉田都芸術監督(再任決定)は、この3年間ダンサーの世代交代を進めながら、キャスティングの組み合わせを様々に試みてきた。今回の主役5組は吉田監督の試行の結果と言える。さらにバレエ団の中堅や、自身がオーディションしたダンサーも適材適所で登用し、バレエ団の新たな陣容が明らかになりつつある。今季は経済上の理由で新制作はないが、選ばれたダンサーたちが旧作をどのように料理するか、期待が高まる。

主役のキトリとバジルは、米沢唯と速水渉悟、小野絢子と中家正博、池田理沙子と福岡雄大、柴山紗帆と井澤駿、木村優里と渡邊峻郁。米沢は1幕を即興的、2幕は完成度の高い古典様式、3幕は扇開閉グラン・フェッテなど技巧の粋を尽くす。速水と初めて組んだ前回よりも、意識的な役作りに思われた。対する速水は磨き抜かれた美しい踊りを披露、引き締まった舞台を見せる。高い跳躍は持ち味として、ピルエットの質の高さ、減速の柔らかさは比類がない。

小野は振付を音楽的にきっちり遂行する。小野の最大の美点である。おきゃんな娘役は手の内に入り、チュチュ姿には貫禄が滲み出た。正統派ダンスール・ノーブルの中家は、安定感のある万全のサポートで小野を自由に踊らせる。美しい踊りもこれ見よがしがない。ワガノワ流の美学だろうか。

福岡は隅々まで自分で考え抜いた演技と踊りを見せる。一つの一つの所作について、詳しく説明ができるだろう。パートナー池田との呼吸もよく練られ、極めて密度の高い舞台を作り上げた。最もドラマを感じさせた組み合わせである。その池田はまっすぐ福岡に寄り添う。ひたむきで爽やかなキトリだった。

柴山はすっきりと晴れやかなキトリ、井澤は大らかなバジルで、のどかな日常風景を描く。3幕はもう少し儀式性が望まれるが、二人の相性の良さは伝わってきた。終盤、井澤の一瞬の迷いは残念。木村はダイナミックで強いキトリ、渡邊は優男で尽くすバジル。長年のパートナーで呼吸は合っているが、相互的なコミュニケーションとは必ずしも言えない。二人の心からの丁々発止を期待したい。

ドン・キホーテの趙載範は茫洋とした大きさが特徴。初役の中島駿野は狂気ゆえの機敏な動きで、熱血の老人を描き出した。ドゥルシネアへの愛がよく伝わってくる。供をするサンチョ・パンサは3人。ベテランだが最も動きの激しい福田圭吾は、毛布投げの回転技に命をかける。角笛が取れないアクシデント(28日昼)も、空中で角笛を吹いて挽回した。初役の小野寺雄は素直で優しいサンチョ、同じく宇賀大将は可愛らしいサンチョだった。

ロレンツォは中島(駿)がピンポイントの演技を見せる。周囲とのコミュニケーションをよく心得て、1幕芝居の要となった。初役の清水裕三郎は男らしさを強調。キホーテの鎧や盾も重くなさそう。洗練と豪快が綯い交ぜになったベテラン演技だった。ガマーシュは奇しくも関西勢。奥村康祐は5回見たが、同じテンション、同じ痙攣動きを維持、純粋で真っ直ぐなガマーシュを演じた。ペトルーシュカ同様、憑依系アプローチだったのかもしれない。小柴富久修はもちろん動きの端々におかしみがある。当日のメヌエットは中家バジル、中島ドン・キホーテ、小柴ガマーシュで、ノーブルな脚捌きの勢揃いとなった。

キトリ友人はベテラン飯野萌子、五月女遥の踊りの巧さ、芝居心が圧倒的。成熟の極みにある。一方、新人の山本涼杏が古典の香気と、行き届いた演技で、初役であることを忘れさせた。ドーソン作品でも急遽代役にもかかわらず、度胸のある冒頭ソロを踊っている。3幕ヴァリエーションでもクラシカルで音楽的な踊りを披露し、今後に期待を抱かせた。

エスパーダは3人。ベテラン木下嘉人が熟練のマント捌きにマスタークラスのような体遣いを見せる。粋だった。別日バジルの井澤は、1幕の躍動感あふれる荒事風の踊りが圧巻。初役の中島瑞生は、山本隆之以来のフェロモン噴出。2幕ソロも大きさ、美しさがあり、ボレロファンダンゴ共々、スパニッシュ・ラインが鮮やかだった。3人の女性を惹き付けるが、特にカスタネットの原田舞子とは、濃厚な愛のドラマを立ち上げた。ボレロでは中島に加え、大きさのある渡邊拓朗、美しく切れの良い仲村啓の長身3人組が花開き、吉田監督の起用が実を結んでいる。

街の踊り子も3人。奥田花純はダイナミックな姉御肌。越し方を思わせる滋味も滲み出て感慨深い舞台となった。直塚美穂は明るいオーラで皆を取りまとめる町の人気者。中島エスパーダとは同志のような関係。柴山は美しい体捌きに強度のある踊りで、お手本のような踊り子。井澤エスパーダとは阿吽の呼吸だった。メルセデスの渡辺与布は人の好さ、益田裕子はきりっとした踊り、カスタネットの朝枝尚子は情念の深さ、原田は繊細な美しいラインで、それぞれエスパーダにアピールしている。

森の女王は3人とも初役。吉田朱里は涼やかで超越的、中島春菜はおっとりとした妖精、内田美聡は華やかな女王。今後の配役が楽しみである。キューピッドはベテラン五月女がマスタークラスのような踊り。五月女が教師なら、広瀬碧はチビ・キューピッドの面倒を見る幼稚園の先生、初役の廣川みくりはなぜか濃厚な役作りだった。

公爵夫人とロマの女王を交互に演じた楠元郁子と丸尾孝子が、舞台を外側から見守り有機的に結びつける ‟糊” の役割を果たしている。ベテランにしかできない技である。ロマの王には小柴と森本晃介。ぎりぎりになってブーツを履き、紐を結ばなければならない。のっそりとした存在感が秀逸だった。楠元と丸尾は世話女房風。

今回からトレアドールのナイフは柄立て(少し残念)。キトリのダイアゴナルでマントを振るトレアドールの一番奥では、同じようにガマーシュがギターを鳴らし、ロレンツォがテーブルクロスを振っている。メヌエット時にはカミテでロレンツォと女房も踊る。隅々まで楽しい細やかな演出だった。

指揮はマシュー・ロウと冨田実里、演奏は東京フィルハーモニー交響楽団。ロウは舞台との交感よりも音楽を追求するタイプか。オーケストラを高度にコントロールし、極めて質の高いミンクス他を聞かせている。冨田は従来のバクラン寄り。拍の強いメリハリのある音作りで舞台を大いに盛り上げた。

 

 

 

K-BALLET TOKYO『眠れる森の美女』新制作 2023

標記公演を見た(10月25日 東京文化会館 大ホール)。演出・振付・台本・音楽構成は芸術監督の熊川哲也(原振付:マリウス・プティパ)、舞台美術デザインはダニエル・オストリング、衣裳デザインはアンゲリーナ・アトラギッチ、照明デザインは足立恒という布陣。2劇場を跨いで12公演の長丁場である。バレエ団にとっては2回目の『眠り』。前回(2002年)は熊川が所属した英国ロイヤル・バレエの美学を受け継ぐ演出だったが、今回は熊川らしさが爆発した改訂版となった。

プロローグと第1幕を合わせて第1幕とし、第2幕と第3幕を続けて上演する2幕構成。大きな改変は、デジレ王子をカラボスの手先にしたこと。ダークな王子像、ゴスロリ風の赤ずきんは、現代的な美意識に沿っている。デジレは森で狼に襲われるオーロラを救け、出会いのパ・ド・ドゥを踊るが、カラボスの手先となっていた赤ずきんに誘導され、王笏に封印されていたカラボスを解放してしまう。カラボスに籠絡された王子は、赤ずきんから黒バラを1輪渡される。オーロラ姫の誕生日に招かれたデジレは、ローズ・アダージョで一人黒衣をまとい、オーロラに黒バラを嗅がせて気を失わせる。

ローズ・アダージョや、幻影の場のアダージョ、宝石のトロワ(男性ソロを除く)、グラン・パ・ド・ドゥはプティパ振付を採用、マイムを多く残し、古典の香気を保つ。一方、リラのヴァリエーション、王子のヴァリエーションは難度を高めて、熊川振付の醍醐味を示した。また3幕ディヴェルティスマンを二つに分け、青い鳥とフロリナ王女、猫は1幕の森の場に、宝石、改心した赤ずきんと狼は3幕で踊るのも新演出。1幕農民のワルツは森の場の花のワルツに変換させ、見慣れぬカエルも登場する。アポテオーズでは、花とカエルがデジレとオーロラに長いチュールを付けて、ファンタジー色を強めた。

古典版を知る観客は驚きの連続だったと思うが、知らない観客は物語にグッと引き込まれたのではないか。ダーク・ファンタジーと、プティパおよび熊川の強度の高い振付が合わさって、芸術性の高いエンタテインメントに仕上がっている。初登場アトラギッチの衣裳は美しく、特にオーロラのチュチュには目を奪われた。白雪姫風のガラスの棺は、熊川のアイデアだろうか。オーロラが横たわり、ガラスの蓋で覆われると、冷気のようなスモークが充満する。熊川の縦横無尽な想像力が、隅々にまで反映されていた。

オーロラ姫には日髙世菜。しっとりとした気品、演技の要所を外さない落ち着き、踊りをピンポイントで決める気迫と責任感の揃ったプリマである。熊川の疾風怒濤の演出にも動じず、古典の格調を保った。一方デジレの山本雅也は、ダークな王子像がよく似合う。ローズ・アダージョでのニヒルな表情は山本ならでは。その後改悛し、リラの精に慰められ、示された道を進む素直さも。彼のために作られたような新しいデジレだった。

カラボスの小林美奈は力強くダイナミック、リラの精の成田紗弥は、柔らかく強靭な踊りで世界を悪から守っている。フロレスタン王グレゴワール・ランシエの芝居の巧さ、王妃 山田蘭の淑やかさ、執事ビャンバ・バットボルトの行き届いた演技が、開かれた王室を印象付ける。岩井優花のしっかりしたフロリナ王女、吉田周平の献身的な青い鳥、佐伯美帆の正統派宝石、栗原柊の爽やかな猫、杉野慧のダイナミックな狼、そして山田夏生の色っぽい赤ずきんなど、ソリスト陣のレベルは高かった。アンサンブルも音楽性、様式性ともに優れている。

指揮は音楽監督の井田勝大、管弦楽はシアター オーケストラ トウキョウ。チャイコフスキーの他曲を含む音楽構成に、生き生きとした息吹を吹き込んだ。特にコンサートマスターの浜野考史が、オーロラとデジレの出会いのアダージョ、間奏曲で、美しいメロディを舞台と客席に届けている。

東京バレエ団『かぐや姫』新制作

標記公演を見た(10月22日 東京文化会館 大ホール)。本作は第1幕を2021年秋、第2幕を2023年春に発表、今回初めて全3幕が通しで上演された。演出・振付は Noism Company Niigata 芸術監督の金森穣、音楽はドビュッシーの音楽を選曲、衣裳デザインに廣川玉枝、木工に近藤正樹、映像に遠藤龍、照明は伊藤雅一、金森穣、演出助手に NCN 国際活動部門芸術監督の井関佐和子、衣裳製作は武田園子という布陣。初演では写実的だった1幕の美術・衣裳を変更、音源も改訂され、視覚、聴覚面の統一が果たされている。

台本は金森自身。翁がかぐや姫を竹の中から見つけ、大事に育て上げるのは原作と同じ(媼はなし)。かぐや姫の初恋の人(道児)、帝の正室(影姫)を新たに設定し、4人の公達を大臣とした。最大の変更は、かぐや姫が人間的な感情を豊かに表現する点。好奇心旺盛で活発な娘が、宮廷での愛憎関係に巻き込まれ苦悩の日々を過ごす。最後は初恋の人に裏切られた上、帝と村人たちの戦(少しアンバランス)に遭遇、いたたまれず大きな叫び声を上げると、天からの迎えがやってくる。かぐや姫は初恋の人とその妻子、帝と影姫を祝福し、月へと帰っていく。異界から来た女性が、周囲の人々に影響を与える物語の原型に加え、その女性自身が成長していく過程も描かれている。

近藤のシンプルだが暖かみのある美術、廣川の豪華なオールタイツとスタイリッシュなたっつけ袴、それらを生かす効果的な映像・照明は、海外発信を想定した日本の創作バレエにふさわしい。金森のドビュッシー選曲、音楽的振付も素晴らしく、かぐや姫と道児の月の光パ・ド・ドゥ(1幕)、影姫パ・ド・サンクおよび、帝、かぐや姫、影姫のパ・ド・トロワ(2幕)は情感にあふれる。さらにベジャール・オマージュと言える「海→竹の精」女性群舞(1幕)、Noism メソッドを用いた力強い宮廷男性群舞(2幕)、金森版『ラ・バヤデール』を彷彿とさせる「雪→光の精」女性群舞(3幕)が、ドビュッシー音楽を微細に視覚化。金森の優れた音楽性を再確認させた。

今回、翁を中心とするコミックリリーフは、ベテラン木村和夫を得て、飄々とした中にも気品の漂う場面となった。木村がかぐや姫に腕を差し伸べるだけで、深いドラマが立ち上がる。ダンスール・ノーブルとしての歴史が身体化されている。また、踊れるダンサーを配した黒衣の扱いも目覚ましい。これまで作品に黒衣を採用してきたのはこのためだった、とさえ思わせる。オケピットからの意想外の登場に加え、低重心の機敏な動き、翁、かぐや姫、秋見(教育係)と踊る際のユーモアが素晴しかった(当日は岡崎隼也、井福俊太郎、海田一成、山下湧吾)。

一方、美術、音楽、舞踊の緊密な融合に対し、物語の流れとしては、まだ練り上げるべき箇所が残されている。例えば1幕の最後、かぐや姫が秋見に連れていかれ、残された道児が嘆いているところへ姫が再び戻ってくるのは、余情が損なわれる。また翁がお金と反物を竹林から取り出すのを村人が見て、自分たちもと竹林を傷つける場面。環境破壊を連想させるが、直後の姫が都に上る場面との繋がりがなく、唐突に思われた。さらに秋見と大臣4人が村を眺める都上りの伏線も、やや説明的。秋見と従者でよいのでは。3幕での道児の裏切り(地元女性と子を成す)は、天で罪を犯したかぐや姫の贖罪と、道児を許す姫の天上性を示すためと思われるが、この場合2幕月の光パ・ド・ドゥ(管弦楽版)の真実が問われることになる。あれほど愛し合ったのに裏切ってしまう道児のキャラクターは、踊り手の豊かな経験を投入してもなお、整合性を欠いて見えた。全幕物語バレエは初めてということもあるが、もう少し観客の想像力、踊り手の生理を考慮に入れた演出を期待したい。

主要人物はWキャスト。かぐや姫の初日、三日目は秋山瑛、二日目は足立真理亜、道児はそれぞれ柄本弾、秋元康臣、影姫は沖香菜子、金子仁美、帝は大塚卓、池本祥真、翁の木村和夫、秋見の伝田陽美はシングルキャストだった。その三日目を見た。

秋山は繊細なラインに豊かな感情を滲ませて、かぐや姫の地上での生涯を描き出した。1幕の無垢な魂、2幕の不安と苦悩、3幕の崇高な赦しが、考え抜かれた演技と踊りから伝わってくる。これまでの蓄積と鋭敏な感受性を、かぐや姫造形に注ぎ込み、手探りで格闘してきた様子が窺える。翁との遣り取りと別れには深い真実味があった。影姫の沖はゴージャスなラインと堂々たる存在感で帝の愛されぬ正室を演じる。赤と黒のオールタイツがよく似合っていた。愛情深い教育係、秋見役は伝田。と言うよりも、伝田があってこその秋見である。持ち前のユーモアと芝居心が作品に晴れやかさをもたらした。

道児の柄本は大らかで暖かく、かぐや姫の孤独を包み込む。その彼の裏切りは衝撃的だった。柄本としても不本意だったと思うが、あらん限りの解釈を体に入れた仁王立ちを見せている。帝は今春の第2幕上演で、牧神のような孤独のソロを踊った大塚。今回は物語のバランスを考慮してか、抑え気味だった。金森振付の粋とも言えるソロ(トロワへ移行する)なので、初演時解釈に戻して欲しい。

宮川新大、池本祥真、樋口祐輝、安村圭太の大臣たち、二瓶加奈子、三雲友里加、政本絵美、中島映理子の側室たちと、実力派ソリスト陣が脇を固める。しなやかな女性群舞、ベジャール張りの男性群舞、明るい村人群舞が、骨太の骨格を形成した。

バレエシャンブルウエスト『ドン・キホーテ』2023

標記公演を見た(10月8日昼 J:COM ホール八王子)。昨夏 清里フィールドバレエで上演された短縮版を、全3幕に改訂。演出振付は、今村博明、川口ゆり子、イルギス・ガリムーリン、成澤淑榮による。ガリムーリンと成澤が所属していたモスクワ・クラシック・バレエ版を基にしたとみられ、ザハロフ振付「水兵のジーグ」が採用されている。構成は、プロローグの書斎、1幕のバルセロナの広場、2幕のロマの野営地、夢の場、居酒屋、3幕の貴族の館。ただし公爵夫妻は登場しない。

広場はセギジリアから、野営地はジプシーの踊りからと、華やかな群舞を前面に出すスピーディな演出。マイムシーンは、音楽テンポとの兼ね合いで練り上げられていない部分もあったが、演技指導そのものは細やかだった。1幕トレアドールのナイフは杯に、街の子供たちは少年装の女性ダンサー1名に置き換えられている。マイルドで洗練された趣を与える演出だが、ガリムーリンによるものなのか。居酒屋ではカルメンシータ、エスパーダ、メルセデスジーグ、貴族の館ではファンダンゴボレロ、グラン・パと踊られる。キューピッドと小キューピッドは行進に加わるも、踊りはなかった(小キューピッドの可愛らしさが際立つ。オーディション選抜したとのこと)。

主役のキトリとバジルはWキャスト。マチネは川口まり、藤島光太、ソワレは柴田実樹、山本帆介、そのマチネを見た。川口は持ち前の美しい古典のフォルムに、ピンポイントの音楽性を駆使、精緻なきらめきを発散させた。まだ少し生硬なところもあるが、場数を踏むことで、創作物における情感の豊かさを生かせるようになるのではないか。対する藤島はアメリカ仕込みの華やかな技巧を惜しみなく放出。舞台に華やぎを与えた。川口との呼吸も向上し、安定したパートナーシップを披露している。

ドン・キホーテの逸見智彦は、高潔な精神と狂気のはざまをノーブルに表現。サンチョ・パンサの染谷野委は可愛らしいちゃっかり者、主人への愛情にあふれる。ガマーシュのバトムンク・チンゾリグは大きく明快なマイムと勢いある踊りで、一途ゆえに滑稽な貴族を巧みに演じ、ベテラン奥田慎也のロレンツォがゆったりと芝居陣をまとめた。

エスパーダはスタイリッシュな橋本直樹、街の踊り子は婀娜っぽい土田明日香、キトリ友人はくっきりとした河村美希、少し控えめになった村井鼓古蕗、ジプシーソリストは情熱的な吉本真由美と粋な土方一生、森の女王はベテランの松村里沙、キューピッドは可愛らしい橋本紗英、カルメンシータは上品な深沢祥子、メルセデスは艶やかな鈴木愛澄、ジーグは岩崎美花、早川侑希、巻孝明、鈴木諒が技を競い合った。早川はボレロでも嫋やかな井垣美穂と組んで、大きく力強い踊りを見せている。グラン・パの女性ヴァリエーションは阿部美雪、石原朱莉が務めた。男女アンサンブルはスタイル、音楽性共に統一されている。特にファンダンゴはバレエマスター江本拓のフォルムが透けて見えた。

ダンサーたちは所属スクール出身者とオーディション組の混成チーム。アンサンブルではスクール出身ならではの統一されたスタイルが、ソリストでは自分を主張するオーディション組の闊達さが際立つ。これまでゲストに頼ってきた男性陣も所属ダンサーが増えて、活気あふれる踊り合いを見ることができた。

指揮は磯部省吾、演奏は大阪交響楽団による。マチネでは所々舞台との齟齬が見られた。特にマイム時のテンポは指導者とのコミュニケーションを望みたい。音響が良すぎるせいか、打楽器の音量が気になったが、生演奏の迫力は舞台にも客席にも伝わっている。

 

 

 

 

中村蓉 単独公演『f マクベス』2023【追記】

標記公演を見た(9月23日夜 吉祥寺シアター)。振付・構成・演出:中村蓉、映像・ドラマトゥルク:中瀬俊介、演出アドバイザー:長谷川暢、振付・演出アシスタント:安永ひより、舞台監督:熊木進、照明:久津美太地、音響:相川貴、衣裳:田村香織、音楽協力:長谷川ミキ、映像アシスタント:染宮久樹、上演時間:90分。以下はリーフレットの中村の言葉。

戦の才のある男と実行力のある妻が、それぞれの強みを持て余し、身の丈に合わない大きな野望を抱いたがゆえに敵も味方も分からず空回りして落下していく。『マクベス』の大雑把なあらすじだ。「自分の器より大きなものを目指して空回り」する彼らの姿に私は共感し、マクベス夫人の「欲しいんでしょ? ウジウジしてんじゃないわよ!」という叱咤の声が、やけに胸に刺さった。だからといって『マクベス』を身近な物語として引き寄せ過ぎてしまっては、面白くならないだろうと思った。『マクベス』の悲劇と狂喜は、まさに「私の器」を超えたところにあるからだ。/器の外に出る方法として、今作は『マクベス』の原文にある「f」から始まる単語をヒントに、振付や作品構成を練っていった。「f」は足枷であり、足掛かりとなった。

「f」から始まる単語を補助線にしたアプローチは、戯曲のつまみ食いになるのではないかと思ったが、予想は全く覆された。「f」単語を含む原文・翻訳字幕映像が、中村の直観に基づく戯曲理解の骨となって、堅固でスケールの大きい作品へと至らしめた。終盤の全員黒衣で踊る場面では、「f」単語に振り付けられた動きの反復が徐々に快感をもたらして、壮大なフィナーレを形成する。アプローチを知的意匠に堕させず、有機的に運用する底力。中村の俯瞰的かつ持続的な演出力、さらにはダンサーへの緻密で容赦ないディレクションに圧倒された。

冒頭、タータンチェックを身に付けた池上たっくん(マクベス)、中村(マクベス夫人)、山田暁(バンクォー)が、地面に置かれたブロッコリーを奪い合う。一人が取ろうとすると、二人がそれを妨げる。途中のマイムシーンを含め、小野寺修二の影響を思わずにはいられないが、中村の独自性は身体表現が全てドラマに収斂する点にある。ブロッコリーはこの場合王冠だが、終盤の黒衣場面においては、全員がブロッコリーを咥えてバーナムの森と化した。その直後、池上と中村が一つのブロッコリーを咥えて踊る抱擁デュオでは、再び王冠に戻る。プレルジョカージュの『ル・パルク』に匹敵する濃厚な愛の形である。

*中村によるとブロッコリー採用は、映像・ドラマトゥルクの中瀬が「うちでは森と呼んでる」の一言から。長島確(ドラマトゥルク・翻訳家)と中村による PPトークにて。

「いいはわるい」の水色・赤色旗判定や、金色ボール(王冠)の奪い合い、ルー大柴語訳マクベスの手紙朗読など、目覚ましい演出の数々だったが、やはりマクベス夫人の夢遊病シーンは突き抜けている。最初は黒子の女性とダブルで動いて「抽象性を加え」(中村)、徐々にソロに移行する。ヴェルディマクベス』のソプラノが奈落からうっすらと聞こえるなか、中村がスリップ一枚になる。クラシックバレエの体に舞踏が入る美しさ。モノ化した無意識の体が、夫人の狂気を現前させた。このダブル動きと奈落の手法はスタッフアイデアによるとのこと(中村 PPトーク)。それを明かす中村の正確を期したい性格の面白さもさることながら、スタッフが一丸となってクリエーションする真の協働を見た思いだった。

中村は夢遊病ソロは別として、他の場面では一ダンサーに徹している。そのストイシズムには少しコミカルな味があり、複雑なキャラクターであることを再確認した。マクベスの池上ははまり役。無骨さ、優柔不断に耐えられる感情の幅、体をそのまま投げ出せる無意識の大きさ。ブロッコリー・デュオでは中村に駆り立てられて、王冠を咥えるマクベスそのものだった。バンクォーの山田は長身で正統派。行儀のよさが際立つ。池上にハンカチを差し出されて、額を拭い、それを返すと、池上が自分の額を拭ってポケットにしまう。「いいわるい」判定やボール奪いでの二人の体の攻防、それに基づく友情を可視化した演出だった。

オーディションで選ばれた 山田ゆう子、LINDA、武井琴、大塚寧音、中川友里江も、細かいディレクションに磨かれて個性を発揮。特に武井の微妙な表情が印象深い。

【追記】舞台写真のキャプションによれば、手旗判定は「味方と敵」、ボール奪い合いは「いいわるい」(fairとfoul で球技に掛けている)とのこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

8月に見たバレエ公演 2023

NBAバレエ団『ドラキュラ』(8月6日 新国立劇場 中劇場)

マイケル・ピンク振付の『ドラキュラ』は、ブラム・ストーカーの原作100周年を記念し、1996年にノーザン・バレエで初演された。作曲はフィリップ・フィニー、舞台装置・衣裳はレズ・ブラザーストン、照明デザインはデビッド・グリルによる。NBAバレエ団では2014年に初演、国内他団にはない独自のレパートリーである。

主役のドラキュラは3キャスト。初日マチネは厚地康雄、ソワレは平野亮一とゲストが続き、二日目はバレエ団の刑部星矢が務めた。その二日目を見た。刑部は2020年「HORROR NIGHT」ダブル・ビルの宝満直也振付『狼男』で、狼男の首領を演じている。以下はその時の公演評。

「HORROR NIGHT」と題されたダブル・ビルの一作。もう一作はマイケル・ピンク作『ドラキュラ』の第一幕である。後者は今夏全幕上演の予定だが、一幕のみでも、英国系物語バレエの伝統が明らかだった。英国ロイヤル・バレエの平野亮一(ドラキュラ)を始め、宮内浩之(ハーカー)、峰岸千晶(ミーナ)、三船元維(ヘルシンク)、3人の女バンパイアなど、細かい役作りに全幕への期待が高まる。野久保奈央を中心とする村人たちの踊りも、大地と直結したエネルギーにあふれていた。

宝満新作『狼男』は、得意とされる動物ものだが、これまでよりも抽象的な造形。人間の共同体が、異質にどう対するかという、普遍的な問題を扱っている。冒頭のシルエット・シーンでは、男(森田維央)が四つん這いの男に咬まれ、終幕の同シーンでは、少女(竹田仁美)が別の男を咬んで、血だらけの首を晒して終わる。疑心暗鬼の指差しシーン、男性アンサンブルによるコミック・リリーフも効果的。途中、紫色の神官服に身を包んだ刑部星矢が、狼男の首領として現れる。圧倒的な存在感、虚構度の高さは、物語に歪みを与えるほど強烈だった。狼女となる竹田とのパ・ド・ドゥもドラマティック。ベテランの竹田は、深い作品解釈、緻密な役作り、磨き抜かれた踊りで物語を牽引、振付家の優れた伝達者となった。中盤は人間関係が分かりにくく、整理は必要に思われるが、骨太のコンテンポラリー・バレエ作品。再演を期待したい(音楽の表記も)。(2月15日昼 新国立劇場中劇場)

この時から刑部のドラキュラを期待していたが、期待通りの舞台。ミーナに野久保奈央、ルーシーに勅使河原綾乃と役者が揃い、初めて作品の持つドラマ性、濃厚なエロティシズムを味わうことができた。刑部の伸びやかで大きい踊り、体内深く宿るパトス、パートナーに寄り添う体の柔らかさ。胸の血をミーナに吸わせるロマンティックな官能性は、刑部でなければ出すことができない。さらに蝙蝠のように降りてきて、蛇のように消え去る影のような身のこなし。はまり役だった。

ミーナの野久保は天性の女優、佇むだけで感情を伝えることができる。刑部ドラキュラと並んで歩む姿は、異世界の女王。終幕の首筋に手をやる仕草は妖艶。今後も続く吸血の連鎖を一瞬で視覚化させた。ルーシーの勅使河原は踊り、演技ともに切れがよく、ドラキュラに惹かれる明るい奔放さと、ゾンビとなって襲い掛かる無意識をよく表している。ハーカー初役の新井悠汰は健闘するも、ドラキュラとの場面ではもう少しマゾヒスティックな官能性が必要だろう(胸筋も)。初演から演じるヴァン・ヘルシングの三船元維、クインシーの高橋真之、アーサーの本岡直也は適役。レンフィールドの佐藤史哉も奇矯さをよく出していた。

女ヴァンパイア、村人たち、パーティの人々、アンデッドたちは、振付家直接の指導を受けて生き生きと踊っている。役者が揃った上は、夏の定番になるかもしれない。

 

スターダンサーズ・バレエ団『ドラゴンクエスト(8月12日 新国立劇場 オペラ劇場)

鈴木稔演出・振付の『ドラゴンクエスト』は1995年の初演以降、再演を重ねてきたオリジナルバレエである。2017年には舞台装置・衣裳を一新し、ディック・バードの陰影深いファンタジー色が作品に加わった。今回、会場が新国立劇場のオペラ劇場となったことで、バード美術の可能性が一気に開かれている。舞台の幅、奥行に、効果的な照明(足立恒)が加わり、バード本来の意図が実現された。鈴木演出も全面的に刷新。プロローグから終幕まで、緻密な演出が施され、物語の流れが手に取るように分かった。神話的原型を踏まえつつ、日本的情緒をも含む和製物語バレエである。

主役の白の勇者は初日がアクリ瑠嘉、二日目が林田翔平、黒の勇者はアクリ士門、池田武志、王女は渡辺恭子、塩谷綾菜、戦士は西原友衣菜、杉山桃子のWキャスト。魔王には重厚な大野大輔、賢者は風格ある福原大介、武器商人は細やかな鴻巣明史、伝説の勇者は大きさのある久野直哉、聖母はたおやかな角野みづきと、適材適所だった。

二日目を見たが、白の林田は爽やかさに少しコミカルな味を加えた造形。適役だが、勇者にしか抜けない剣を抜く英雄のプロトタイプなので、もう少し凛々しさが望まれる。黒の池田は役作りが深まり、双子の兄弟への思い、育て親への愛情(義理立て)を身内に落とし込んで、自己犠牲の死を選んでいる。王女の塩谷ははまり役。正確な技術とポジションから繰り出される清潔な踊り、的確な物語解釈、優れた音楽性が揃う。動きの全てに感情が宿っていた。戦士の杉山も初役ながらはまり役。男性に引けを取らないマニッシュな振付を鮮やかにこなし、ゴージャスでダイナミックな戦士像を描き出した。匂い立つ男役風アプローチに、客席から声援が飛んだほど。

国王の関口武、王妃の周防サユル、臣下の比嘉正を始め、王女友人、兵士たち、モンスターたち、酒場の男女、剣士たち(佐野朋太郎、関口啓、西澤優希)、小鳥たち(鈴木就子、森田理紗)、天空の妖精たちが、明快なすぎやまこういちの音楽に乗って、日本発の物語バレエを生き生きと立ち上げている。

指揮は田中良和。東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団から、厚みのある音を引き出した。

 

谷桃子バレエ団『くるみ割り人形日生劇場版~(8月25日昼 日生劇場

演出・振付は谷桃子、改訂演出・振付は芸術監督の髙部尚子による。上演に先駆けて、バレエミストレスの日原永美子が幕前解説を行なった。マイムについて説明し、男女のダンサー二人が実践してみせる。今回加えられたプロローグでは、ホフマン原作に則り、ドロッセルマイヤーの甥ハンスがくるみ割り人形に変えられた経緯を、登場人物のマイムとナレーションで描いている。直前のマイム解説と地続きの形式で、子供たちにとって物語に入り易い導入となった。

谷版はワイノーネン版に準じた演出。自動人形は、ピエロ、コロンビーヌ、ムーア人に設定され、雪片のワルツ、花のワルツもワイノーネンの振付を多く残している。今回の改訂では、ハンスがクララと結ばれる原作の結末を取り入れ、ハンスが人形から人間に戻る場面をコッペリア風(徐々に腕が動き始める)に変更した。髙部監督のドラマ重視を反映した新版と言える。

当日のクララは齊藤耀。きめ細かい動きに明るさと可愛らしさが加わる。くるみ割り人形(ハンス)の今井智也と呼吸もよく、ドラマを溌溂と牽引した。今井は暖かさと誠実さの滲む王子。人間に戻る際のリアリティが光った。金平糖の精は山口緋奈子。お菓子の国を統括する大らかな佇まいが印象深い。ドロッセルマイヤーの齊藤拓は、優美な動きに妖しさを漂わせて適役。老将軍の岩上純と共に、ベテランの存在感を示した。フランツはお茶(中国)も踊る闊達な松尾力滝だった。

ピエロの清水豊弘、コロンビーヌの加藤未希、ムーア人の田村幸弘、雪の精ソリストの北浦児依、白井成奈、チョコレート(スペイン)の昂師吏功、トレパックの牧村直紀など、ソリスト陣も充実。永井裕美、池澤嘉政率いるデコレーションケーキ(花のワルツ)は、男性伝統のノーブルスタイルが際立つ。女性陣は全体に伸びやかな踊り、生き生きとした演技で、バレエ団の勢いを感じさせたが、コール・ド・バレエはまだ熟成の途上にあった。

指揮の井田勝大が手兵のシアターオーケストラトーキョーを率いて、豊かで滋味あふれる音楽を紡ぎ出している。雪片のワルツが(某団時とは異なり)適切なテンポで安心した。

 

東京バレエ団ドン・キホーテの夢』(8月26日昼 めぐろパーシモンホール 大ホール)

「子どものためのバレエ」全国9か所のツアーを終えて、バレエ団所在地の目黒に戻ってきた。振付・演出はウラジーミル・ワシーリエフ(ロシナンテの声も)、振付補佐は芸術監督の斎藤友佳理、脚本は立川好治。2015年の初演以来 上演を重ね、隅々まで練り上げられた演出を誇る。ロシナンテ、お嫁さん馬を、歌舞伎風に2人のダンサーが前脚、後脚となって作り上げる面白さ。歩行のみならず、スペイン馬術学校顔負けのステップも披露する。「馬の耳に念仏」「さんまは目黒に限る」「瓢箪から駒」などの諺も散りばめられ、『ドン・キホーテ』のエッセンスに日本文化が顔を覗かせる 東京バレエ団独自の改訂2幕版である。

キトリ/ドゥルシネア姫は秋山瑛、バジルは大塚卓。優れた音楽性と振付解釈、芝居勘の良さが共通する絵になるカップルである。背丈、呼吸もぴったり。瑞々しいドラマが展開された。ドン・キホーテは真っすぐなブラウリオ・アルバレス狂言回しも兼ねる台詞入りサンチョ・パンサは、しっかりとした岡崎隼也、ガマーシュはやや控えめで人の好い鳥海創、ロレンツォは大きい和田康佑、エスパーダは若く可愛らしい後藤健太朗、キューピッドは軽やかな本村明日香が務めた。後藤の翌日配役はサンチョ・パンサエスパーダとサンチョを兼任したダンサーはいない気がする。

ロシナンテはハギンズ・ミカエル聖也、山下諒太朗、お嫁さん馬は小泉陽大、寺田瑠唯。フィナーレでは馬体を脱ぎ捨てて、爽やかな跳躍・回転を披露、喝采を浴びた。劇場文化の楽しさが横溢する幕切れだった。