新国立劇場バレエ団「ダイナミック・ダンス!」追記

新国立劇場バレエ団「ダイナミック・ダンス!」評をアップする。

新国立劇場バレエ団が中劇場公演として「ダイナミック ダンス!」を上演した。バロック、ジャズ、ミニマル・ミュージックを堪能でき、配役の妙を味わえる、優れたトリプル・ビルである。
この公演は2011年3月に予定されていたが、直前に起きた東日本大震災のため中止となった経緯がある。バレエ団は今回の上演に先立ち、復興支援の寄附を入場料とする公開リハーサルを行なっている。
幕開きは、バッハの『二つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調』に振り付けられた『コンチェルト・バロッコ』(40年)。フレーズを絵にしたような美しいアダージョ、大胆な脚遣いと強烈なポアント・ワーク、腕繋ぎや通りゃんせを用いたフォーメイション、人体の集合フォルムなど、バランシン振付の面白さが凝縮されている。
二作目の『テイク・ファイヴ』(07年)は昨年末亡くなったブルーベックと、デズモンドの代表曲に、デヴィッド・ビントレーが精緻な振付を施した。変拍子ボサノヴァでは青春の爽やかなエネルギー、ブルースではその憂愁が、音楽と不可分の切れ味鋭いステップで描き出される。ジャズを子守唄に育ったビントレーの円熟の境地。50年代の若者の衣裳、ブルーを基調とする照明も作品世界を補強している。
最後の『イン・ジ・アッパー・ルーム』はトワイラ・サープの振付、フィリップ・グラスの委嘱曲、ノーマ・カマリの衣裳、ジェニファー・ティプトンの照明のコラボレーション。題名は聖書からの引用。冒頭の女性二人が、湯気のようなスモークと共に結界を作る。
振付はスニーカーの男女3組と、バレエの男女3組に分かれ、一人の女性がそれを行き来する。タップ、エアロビクス、ヨガ(?)と、バレエは同列。グラスの腹式呼吸のようなメロディ、延々繰り返されるリズムと、ダンサーを無意識へと駆り立てるハードな動きに、空間は溶解し、会場全体が朦朧体と化す。仕上がりはあまり関係なく、ダンサーが踊ったことに意味のある作品。
この異種三作は、音楽的にも振付的にも、地下水脈で繋がっている(サープのバランシン引用あり)。観客はまず視覚で喜び、変拍子に体を揺らし、最後には体全体が解きほぐされる。的確な作品選択、絶妙な上演順だった。
バランシンのアンサンブルを除いて、全てダブルキャスト。例外は急遽シングルになった原健太(サープ)。4日間5公演を踊り抜いた。
全作出演の小野絢子は、美しいラインを生かした繊細できらめく踊りをバランシンで披露。山本隆之の物語性を帯びた濃密なサポートを、受け止められた結果である。
同じく全作の米沢唯は、ビントレー作品で4人の青年と軽やかに踊った。湯川麻美子との意外なダブル配役。米沢を自分に固執させまいとする、ビントレーの愛情だろう。
同じく全作組では、長田佳世が、音楽と一体となった男前の踊りをサープ作品で、また寺田亜沙子が透明感あふれるバランシンを披露した。
ビントレー作品で印象深かったのは、八幡顕光、福田圭吾、奥村康祐の超絶技巧組と、個性派古川和則が生き生きとした踊りを見せたこと。そして本島美和と厚地康雄のデュエット。本島の濃厚な情念と大きな存在感、厚地の爽やかな色気が大人の恋を描き出した。
サープ作品は参加することに意義があるのだが、やはり前回『プッシュ・カムズ・トゥ・ショヴ』で主演した福田は、体がほどけ、楽に呼吸をしている。またスタイル解釈に優れた厚木三杏が、サープ振付のイデアを提供した。音楽がくまなく聞こえる。若手の盆小原美奈の巧さ、原の緩さ加減も楽しかった。
演奏は、バッハがVn漆原啓子藤江扶紀、指揮大井剛史、新国立劇場弦楽アンサンブル。ブルーベックが荒武裕一朗、菅野浩、石川隆一、力武誠、ダンサーとの呼吸の一致はまさにジャズの醍醐味だった。(1月24、25、26夜、27日 新国立劇場中劇場) 『音楽舞踊新聞』No.2892(H25・3・1号)初出

米沢唯について、なぜ評中のように思ったのか。実は公開リハーサルでは、『テイク・ファイヴ』の同名曲の最後は別の演出だった。米沢(湯川)が4人の青年と次々に踊り、最後は「トゥー・ステップ」で本命の女性とデュオを踊ることになる福岡(厚地)に、軽く振られるはずだった。米沢はそれを、深く振られ、がっくりと肩を落とした。三日後の本番では、「二人は明るく下手に去る」という演出に変更されている。このことから察するに、ビントレーは米沢に実存を反映させない配役を選んだのではないか。プロとして、引き出しを増やす、あるいは振付家に寄り添うことを期待したのではないか。
厚木三杏は振付・演出の可能性の中心を把握するダンサーである。クラシックからコンテンポラリーまで、その振付家の意図するところを百パーセント実現できる。米沢は振付を契機として、フィクションを自分で再構築する。そのためアブストラクトの場合は、踊りの密度は高くても、作品との乖離を感じさせる。厚木は振付家、米沢は演出家を父に持つが、そのことと関係があるのだろうか。