新国立劇場バレエ団「トリプル・ビル」2015

標記公演を見た(3月14、15日 新国立劇場中劇場)。19日に三日目を見るが、初日、二日目の感想を一先ず。
演目上演順はバランシンの『テーマとヴァリエーション』、ドゥアトの『ドゥエンデ』、ロバート・ノースの『トロイ・ゲーム』。初め時間割を見たとき、驚いた。ドゥアト、ノース、バランシンの順だと思っていたので。実際見てみると、ノースのスポーティであっけらかんとした作品がおかしく、さっぱりした気持ちで家路についた。大原永子芸監の江戸っ子気質がこの順番を生み出したのかと思ったが、ノースを踊ると後は疲れて踊れないという、物理的な理由だと気が付いた。
トリプル・ビルと言えばビントレー監督。音楽的、歴史的に考え抜かれた作品選択と、享受者への身体作用を考慮した上演順に驚かされた。一方、大原監督の良さは、的確な配役、ダンサーを十分に踊らせること、観客の視点に立って作品選択をすることである。
初っ端の『テーマ』は、主役二人をコリフェ、アンサンブルが取り巻くグラン・パ形式。メランコリックなアダージョと終幕の輝かしいポロネーズが、古典バレエの記憶を呼び覚ます。アダージョは姫とカヴァリエの踊り(王子と言うより)、ポロネーズは次々と男性ダンサーが加わって、めくるめく大団円になる。凡庸な振付家なら、最初から男性を出しただろう。先日のプティパ版『コッペリア』(日本バレエ協会公演)の入れ代わり立ち代わりするコーダを見ていて、バランシンのこれでもかと追い立てる終盤は、ここから来たのだと改めて思った。つまりプティパがすでにスポーティであり、過剰であるということ。
初日の主役は小野絢子と福岡雄大。5列目から見てしまったので、筋肉のきしみまで聞こえそうだった。きっちりとバランシンスタイルを見せていたが、アダージョは情感を醸し出すには至らず。アシュトンのパキパキ・アダージョは良かったのだが。福岡はカヴァリエのあり方を身に付けなければ。二日目は米沢唯と菅野英男。指揮のバクランは、米沢にすっと寄り添う。米沢のテンポ。スタイルはバランシンよりも古典に近い。アダージョは目と目を見かわし、ほのぼのとした暖気が客席を覆う。最後までほのぼのだった。稀有なパートナーシップだと思う(菅野は踊りが少し崩れた、節制しなければ)。
コリフェの配役は順当。奥田花純、柴山紗帆が玄人っぽい。江本拓、貝川鐵男の両ベテランが楽しそうに踊っているのに対し、期待の王子、井澤駿は超控えめ。小柴富久修のカヴァリエとしてのあり方、原健太の熱い存在感も印象に残る。
ドゥアトの『ドゥエンデ』は、ドビュッシーの音楽に振り付けられた現代の牧神物。ニジンスキー『牧神の午後』の引用もあるが、より自然と密着している。レパートリー作りではなく、本当に作りたいものを作っていると思う。4つのパートの最後は人文字。象形文字のようだが、何か知りたい。ドゥアトが指導に来た初演時には、ダンサーが緊張でガチガチだった記憶が。今は伸びやか。本島美和の決然としたフォルムの美しさ、輪島拓也のビロビロとしたオーラ(好きなことをやっている喜びも)、小口邦明のソリッドな味、福岡、福田圭吾、池田武志のダイナミズム、奥田の精度の高い動きが印象深い。
『トロイ・ゲーム』は古代ギリシアの装いで、スポーツや試合をするコンセプトの作品。マチズモ満載、男性8人×2組は筋トレをして体を作っているが、肉と肉のぶつかり合いよりも、どちらかと言うと高校生のやんちゃな遊びに見える。一人一人のソロがあり、配役もビシッと決まっているので、男性ダンサーの個性がよく分かった。と言うか、個性を出せているダンサーを見る喜びがあった。振付はものすごくきついけど、顔見世のような作品。やはり井澤は王子。動きにきらめきがある。柴山といい、加藤大和といい、ソリスト入団の3人は、体の彫琢がずば抜けている。