谷桃子バレエ団『道化師』他

標記公演評をアップする。今年はすでにコメディア・デラルテ物が3作、上演されている。フォーキンの『ル・カルナヴァル』(NBAバレエ団)、マルティネスの『天井桟敷の人々』(パリ・オペラ座バレエ団)、そして伊藤範子の『道化師』(谷桃子バレエ団)である。フォーキンの場合は、19世紀前半に作曲されたシューマン原曲の登場人物をバレエ化、マルティネスは映画に則って19世紀初頭の無言劇を劇中劇として、伊藤は20世紀初頭の設定(レオンカヴァッロのオペラは19世紀半ば)で、コメディア・デラルテの動きそのものを導入した。元々は即興劇なので言葉の軽妙な遣り取りが命だが、バレエ、パントマイム、動きのみの受容は、それぞれに面白さがあった。谷のダンサーたちはダンサーだけあって、コメディアの動きにも切れがあり、伝統の卑猥な身振りも難なくやってのけている。

谷桃子バレエ団伝統の創作バレエに、新たなレパートリーが誕生した。伊藤範子振付『道化師〜パリアッチ〜』である。団独自の企画「古典と創作」において、『ライモンダ』第三幕と共に上演された。
『道化師』はレオンカヴァッロの同名ヴェリズモ・オペラをバレエ化したもの。コメディア・デラルテ一座の座長が、嫉妬のあまり妻を殺すという人情物である。座長カニオが、後に妻となるネッダを少女時代に拾って育てる場面(オペラではカニオの歌詞で分かる)を付け加えた他は、ほぼ筋書き通り。道化のトニオが幕を開けると、物語が始まり、さらに劇中劇が物語上の現実と錯綜し、悲劇が起こる。再びトニオが幕を引くという三重構造になっている。
演出面では舞台袖のアプローチや客席も使うなど、工夫が凝らされている。特に箱馬車を挟んでシモ手に劇中劇、カミ手に苦悩するカニオを配した場面は効果的だった。
伊藤の振付は、登場人物の性格、感情を的確に表している。またコメディア・デラルテの動き(指導・光瀬名瑠子)を導入したことで、歴史的な深みが加わった。ただしオペラの歌をそのまま使用した場面は、歌詞の意味が分からない分、見る側の意識が宙づりになり、振付に集中することが難しかった。
座長カニオには三木雄馬若い女房に密通された男の怒りと哀しみを、果たして若い三木に表現できるのかと思ったが、以前の技術一辺倒ではない三木がそこにいた。前半の優しさと大きさに加え、後半の苦悩が、幅のある演技と踊りにより伝わってくる。有名なアリオーソ「衣裳をつけろ」は、形に捕らわれない心からの絶唱だった。
ネッダの林麻衣子(二日目・日原永美子)は明るく可愛らしい、地を生かした役作り。横恋慕するトニオを軽くあしらい、恋人シルヴィオとの逢瀬を楽しむ。対するシルヴィオの檜山和久は、やや暗めの造型だったが、ダンスール・ノーブルのソロを美しく踊っている。
トニオの近藤徹志は、狂言廻しの懐の深さと、ネッダへの暗い情念を、巧みな演技と重厚な存在感で示した。またペッペの山科諒馬は、愛嬌のある佇まいに献身的な踊りで、舞台に爽やかさをもたらしている。
四人の道化役者(津屋彩子、雨宮準、下島功佐、中村慶潤)の細やかな演技と明るい踊り、村娘たちの牧歌的なアンサンブル、村男6人の素朴な踊りも楽しい。とくに牧村直紀の正確な踊りと闊達な演技が印象的だった。
同時上演の『ライモンダ』第三幕は、03年キーロフ・バレエのN・ボリシャコワ、V・グリャーエフにより導入された。今回はアレクサンドル・ブーベルの再振付が加わり、ハンガリアンとマズルカ・アンサンブルの質が大きく向上している。
ライモンダには佐藤麻利香(二日目は佐々木和葉)、ジャン・ド・ブリエンヌには齊藤拓(二日目は酒井大)。佐藤は艶のある緻密な踊りと視線の使い方で、古典の主役にふさわしい踊りを見せた。全てに神経が行き届いている。一方の齊藤は、持ち味の美しいスタイルと安定したサポートで、ダンスール・ノーブルとしてのお手本を示した。
パ・クラシックは、一糸乱れぬスタイルの統一が不可欠である。中劇場で表情がよく見えることもあるが、男女ともに個性が前面に出て、古典らしい香りを醸し出すには至らなかった。『道化師』での躍動感あふれる踊りと引き比べ、改めてバレエ団の演劇的な指向性を思わされた。(7月6日 新国立劇場中劇場) 『音楽舞踊新聞』No.2905(H25.8.1号)初出