小林紀子バレエ・シアター『グローリア』他2015

標記公演評をアップする。

小林紀子バレエ・シアター第108回公演は、マクミラン日本初演作品『グローリア』を含むトリプル・ビル。同時上演は同じくマクミランの『ソワレ・ミュージカル』と、小林改訂の『ライモンダ』第三幕である。


80年、英国ロイヤル・バレエで初演された『グローリア』は、第一次世界大戦で婚約者と弟を失ったヴェラ・ブリテンの自伝に触発され、フランシス・プーランクの同名曲に振り付けられた。合唱とソプラノ・ソロによる輝かしい神への讃美は、戦死した兵士と、かつて彼らと共に生き、今は精霊となって彼らを慰撫する女達へのレクイエムに姿を変えた。


マクミランの振付は、死後の世界を描くためにリフトを多用。複雑なパートナリングは、『マノン』のエロティシズム喚起とは対照的に、霊性を醸し出すために使われる。兵士たちの重く疲れた身体が、透明で軽やかな女達を掬い上げる。特に主役パ・ド・ドゥにおける女性のラインは、超人的な美しさだった。


主役女性は島添亮子。磨き抜かれたラインと優れた音楽性で、精緻なパ・ド・ドゥを作り上げた。『マノン』や『コンチェルト』を踊ってきた経験が十分に生かされている。リフト時の神経の行き届いた体が比類ない。


男性主役はゲストのエステバン・ベルランガ(スペイン国立ダンスカンパニー)とロマン・ラツィック(ウィーン国立歌劇場バレエ)。島添を支えて健闘したが、もし日本人のみの座組にした場合、作品の持つ普遍性がより明らかになり、追悼の趣もさらに増したのではないか。


ソプラノ國光ともこの濃密な歌唱と、武蔵野音楽大学合唱団の力強い歌声が、作品に強度を与えていた。


『ライモンダ』第三幕は、他幕のヴァリエーションを加えたグラン・パ。ハンガリアン・プリンシパルの出番が多く、最後の大見得も、ライモンダとジャンの主役と並列される。


ライモンダは高橋怜子。美貌で、日焼け(?)した二の腕が艶めかしさを伝える。まだ「腹が据わった」とは言えないが、自立した踊りに近づいている。ジャンは大柄なラツィックが勤めた。


新国立劇場バレエ団で長年踊ってきた大和雅美の、音楽性豊かな楷書のヴァリエーションが心に残る。男性ゲスト陣も美しい踊りを披露した。


指揮はポール・ストバート、演奏は東京ニューフィルハーモニック管弦楽団。(8月23日 新国立劇場中劇場) *『音楽舞踊新聞』No.2958(H27.11.11号)初出

『ソワレ・ミュージカル』について触れなかったのは、再演作ということもあるが、最終場面で、女性主役がフェッテを出来なかったから。そのことで作品全てが壊れてしまった。技術的に出来ないのではなく、精神的に追い込まれてだと思う。主役がフェッテ自体出来なくなるのを、2回見たことがある。やはり世界が瓦解したような衝撃を感じた。フェッテとは何か。単なる技術に留まらない、何かを象徴するパなのだろう。観客にとっては、技術的な見どころであると同時に、主役の精神性を感じる場面でもある。輝かしいオーラ、エネルギーで観客を祝福する、アナニアシヴィリの全盛期のフェッテを思い出す。またアニエス・ジローが、男性ダンサー4人(だったか)をフェッテでぶん回すプティ作品を思い出す。フェッテの象徴性を剥ぎ取り、動きの面白さのみを抽出した、プティの天才がなせる技だった。