英国ロイヤル・バレエ団『不思議の国アリス』「ロイヤル・ガラ」『白鳥の湖』

標記公演評をアップする。

英国ロイヤル・バレエ団が3年ぶり11回目の来日公演を行なった。全幕創作バレエ『不思議の国のアリス』、「ロイヤル・ガラ」、『白鳥の湖』の3プログラムである。
ロイヤル・バレエ団は丁度、世代交代の時期に当たっている。ギエム、バッセル、吉田都等が退き、ロホはENBの芸術監督に、またベンジャミン、コジョカル、コボーは今回が最後のロイヤル出演である。こうした事情に加え、初代アリスのローレン・カスバートソンが故障で来日ならず、さらにロイヤル最後の『白鳥』と喧伝されたコジョカル、コボーも故障で、同じく代役となった。
世界レヴェルのスター達が妙技を競い合う華やかさはなくなったが、その分、ロイヤル・バレエ団の伝統が浮き彫りになる地に足のついた公演だったと言える。


不思議の国のアリス』(11年)はロイヤル出身で、NYCBの常任振付家を務めたクリストファー・ウィールドンの作品。翳りのないユーモアと、音楽性にあふれた演劇的バレエである。ヴィクトリア朝、不思議の国、現代という三つの時空を、演技の様式を変えて描き出す手腕、ブラック・ユーモアのバランス感覚は、ウィールドンが真に英国的な振付家であることを示している。
動物の被り物、グロテスクな女装、強い女王と弱い王は、バレエ団のお約束。映像、美術、音楽も素晴らしく、劇場自体のレヴェルの高さを思わされる。先頃パリ・オペラ座バレエ団が、同じく全幕創作バレエ『天井桟敷の人々』で来日したが、オペラ座クリエイティヴィティを前面に出すのに対し、ロイヤルは工夫の跡を見せない演出を誇る。観客の嗜好の反映なのだろう。
出ずっぱりの主役サラ・ラムは、美しいラインと控え目な演技で繊細なアリス像を、ルイス・キャロルと白うさぎのエドワード・ワトソンは、奥行きのある複雑な人物を的確に造型した。
残虐なハートの女王ゼナイダ・ヤノウスキーは、怖ろしいローズ・アダージョを寸分の狂いなく踊り、いかれ帽子屋のスティーヴン・マクレーは超絶技巧タップで、いかれ具合を表現した。三月うさぎのリカルド・セルヴェラ、料理女のクリステン・マクナリーも印象的。インターナショナルな団員構成なのに、脇役に至るまで英国的だった。


東京では久しぶりの「ロイヤル・ガラ」は、アシュトン、マクミランからリアム・スカーレットまで、オリジナルの作品が並び、新旧振付家の系譜を辿ることができた。アシュトン作品では、現行版では使われていない『白鳥の湖』パ・ド・カトルと、『眠れる森の美女』目覚めのパ・ド・ドゥが興味深い(牧阿佐美バレヱ団のウエストモーランド版にその影響がある)。またマクミランの『マノン』寝室のパ・ド・ドゥで、ベンジャミンが集大成となる演技を見せた。
最も客席の空気を変えたのは、ラウラ・モレーラがフェデリコ・ボネッリを相手に踊ったスカーレットの『ジュビリー・パ・ド・ドゥ』。一見普通のパ・ド・ドゥに見えるが、自然な息吹がそこかしこから立ち昇り、自然食のような素朴な喜びにあふれる。モレーラの明るく肯定的な資質とよく合っていた。


伝統のプログラム『白鳥の湖』は、87年から続くダウエル版。一幕王子のソロがないオーソドックスな演出だが、時代を19世紀後半のロシアに設定した点に独自性がある。三幕は仮面舞踏会。キャラクターダンスはロットバルトの手下が踊り、小人も登場する。ソナーベンド美術独特の退廃美である。
主役のラムは、美しいラインで儚げなオデットと気品あふれるオディールを演じ分けた。ジークフリートマクレーはロイヤル伝統の王子。ソロは高難度に変えていたが、アラベスクのポーズは端正。ノーブルな踊りと佇まいだった。


今回は全般的に日本出身のダンサー達が大活躍をした。里帰り公演が多数配役の理由でないのは、配役に見合ったレヴェルの高い踊りから明らかである。プロらしい堅実な踊りの小林ひかる、高い技術と愛らしい容姿の崔由姫、正統派高田茜、大きく華やかな金子扶生、品の良い蔵健太、硬質な肉体と大きさのある平野亮一。特に平野は、日本人らしさを留めたままで、数々の配役をこなすサムライである。
演奏は、デヴィッド・ブリスキン、ボリス・グルージン、ドミニク・グリア指揮、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団が担当した。(7月5、10、12日 東京文化会館)  *『音楽舞踊新聞』No.2907(H25・9・11号)初出