スターダンサーズ・バレエ団「20世紀のマスターワークス」

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スターダンサーズ・バレエ団が「20世紀のマスターワークス」を上演した。創作物と並ぶ活動の柱の一つである。プログラムはバランシンの『スコッチ・シンフォニー』、『フォー・テンペラメント』、ロビンズの『牧神の午後』。演出・振付指導にはベン・ヒューズを招いた。


幕開きの『フォー・テンペラメント』(46年)は、興行ベースを離れた芸術志向の企画組織バレエ・ソサエティの旗揚げ作品。パウルヒンデミットによるオリジナル曲は、3組のデュエットによる「テーマ」と、「憂鬱」、「快活」、「無気力」、「怒り」のヴァリエーションで構成されている。振付は人体フォルムや手繋ぎムーヴメントに加え、グラン・バットマン+ポアントの突き刺し、腰や腹の突き出し、カニ歩きなど、過激な動きが多い。シャープなタンデュと、膝曲げポアント歩きという正反対の脚の見せ方には、バランシンの茶目っ気が感じられた。
福原大介が踊った「憂鬱」はノーブルな男性が悩み苦しむ姿、ゲストのフェデリコ・ボネッリ(英国ロイヤル・バレエ)が踊った「無気力」は、どうしたのかと思うほどクネクネした動きで、それぞれの気質を表した。一方「快活」の林ゆりえは、吉瀬智弘を相手に四肢がはじける踊りを、「怒り」の小林ひかる(英国ロイヤル・バレエ)は全体を統率する貫禄の踊りを見せた。中でも林は動きのニュアンスが濃厚。音楽と完全に一致して、熱い磁場を生み出した。


ドビュッシー曲、ロビンズ振付の『牧神の午後』(53年)は、バレエスタジオが舞台、牧神とニンフはダンサーである。常に鏡を介在させるバレエダンサーのコミュニケーションを演出に取り入れることで、マラルメ原詩の夢と現実の間が巧みに表現されている。動いては鏡で確認するその時間差に、クールなエロティシズムが横溢する。
牧神は吉瀬、ニンフは林、今回は吉瀬のための作品だった。動物的なストレッチ、体から先に動く無意識の大きさ、よく鍛えられた上半身、若い牧神そのものである。林はマラルメ原詩の情熱的な方のニンフ。音楽的で官能的。吉瀬がナルシスティックではないので、常に鏡を見るバレエダンサーについてのメタレヴェルは生じず。唯々動物的で官能的な一場だった。


最後はメンデルスゾーン交響曲3番に振り付けられたバランシンのスコットランド・オマージュ、『スコッチ・シンフォニー』(52年)。クラシック主体の振付で、人体フォルムの面白さなどは見られないが、シークエンスにバランシンの天才ぶり(訳の分からなさ)が見て取れる。ゲストの吉田都がボネッリ扮する王子役と、『ラ・シルフィード』のような追いかけっこのアダージョを展開。吉田がカミ手に誘うと、キルト軍団がボネッリを制止し、要塞のように吉田を守る。この同じシークエンスが、シモ手でも繰り返される。途中に二人の親密なアダージョが入るので、なぜボネッリが制止されるのか分からない。その理不尽な面白さ。要塞のような四角のフォーメイションもおかしい。終幕では吉田がお手本を示して、群舞が真似る軍隊調のシーンがあり、バランシンのスコットランド・イメージを明快に映し出した。
吉田はピンクのロマンティック・チュチュがよく似合う。全盛期のようなピンポイントの音取りとはいかないが、ベテランらしく作品のニュアンスをよく汲み取った舞台作りだった。またキルト装の女性、渡辺恭子の鮮やかなバットリーも印象深い。同じくキルト姿の大野大輔、川島治と美しいユニゾンを見せた。


アンサンブルは前半モダニズム、後半ロマンティックな振付をすっきりと音楽的にこなしている。前半の脚の迫力は肉食系ダンサーに負けるが、バランシンへの愛を感じさせる意欲に満ちた舞台だった。演奏は田中良和指揮、テアトロ・ジーリオ・ショウワ・オーケストラ。(8月17日 テアトロ・ジーリオ・ショウワ)  『音楽舞踊新聞』No.2910(H25.10.11号)初出