小林恭氏を追悼する

優れたバレエダンサー兼振付家だった小林恭氏の葬儀に参列した(2014年9月4日 青山葬儀所)。8月19日、肝不全のため死去。享年83歳だった。
小林氏は47年に石井漠に師事。49年谷桃子バレエ団に入団し、東京バレエ学校でワルラーモフとメッセレルに師事した。70年小林恭バレエ団を設立(山野博大編著『踊る人にきく』参照)。晩年の舞台にしか接していないが、『リゼット』のマルセリーヌは見ることができた。洋物の女装役ではなく、博多にわかや関西喜劇を思わせる和風の女形。最少の振りで溜めを作り、空気を動かす。糸繰りの見事さ、突拍子もない動きが、娘への愛情と結ばれて、濃密な人情喜劇を作り上げる。演出家としては、常に弱者の視点から物語を読み直す、バレエ界にあっては珍しい存在だった。
葬儀では、まず献花ならぬ献杯から始まった。数々の舞台写真や衣装が並ぶなか、遺影の下に置かれたご遺体に、参列者が一人一人ショットグラスのウイスキーを傾け、ご冥福を祈る。お酒の好きだった故人にふさわしい告別なのだろう。喪主の小林貫太氏の挨拶に続き、長年のパートナーだった谷桃子氏と、一番弟子の佐藤勇次氏の弔辞。谷氏の心を振り絞るような別れの言葉、佐藤氏の「先生の弟子となって、本当に幸せでした、先生のヒラリオンは世界一です。」という熱い言葉は、恭氏に届いたと思う。全員揃っての献杯の音頭は、団員を代表して榎本晴夫氏が執り行った。
以下は2006年に書いた公演評。

小林恭バレエ団56回目の定期公演はフォーキン三部作。『韃靼人の踊り』『ペトルーシュカ』『シェヘラザード』と群舞が男女ともに活躍する作品が並ぶ。民衆の力とその悲しみを力強く描き出す、このバレエ団ならではのラインナップである。小林演出の特徴は、ドラマを深く掘り下げる際、その解釈に自身の実存が色濃く反映する点にある。いわゆるフォーキン原作の再現ではない。イデアは外部にではなく、小林の内側にある。それが独りよがりにならないのは、小林の歴史認識が広範で深く、しかも更新されているからだろう。その認識を作品にぶつけながら演出するため、作品は常に生きている。


この公演の翌日、インペリアル・ロシア・バレエによる『シェヘラザード』と『韃靼人の踊り』を見る機会を得たが、復元と言われる『シェヘラザード』は作品の輪郭を伝えはするものの、ドラマを生起させることはなかった。主役二人が形式を通して役にアプローチするタイプのダンサーだったことも原因の一つだろう。小林版『シェヘラザード』は、ゾベイダと奴隷がかつて愛し合った仲という独自の解釈を採っており、官能よりも純愛に重きが置かれている。にもかかわらず、奴隷を踊った後藤晴雄の肉体はニジンスキーの無意識の官能性を想起させ、下村由理恵はゾベイダの妖艶と気品を肉体に刻み込んで、濃密な感情のドラマを生き抜いている。


また小林版『韃靼人(ポロヴェツ人)の踊り』では、異民族に囚われたイーゴリ公の憂いと、それを慰めんとする奴隷チャガの痛切な想いが明確に描かれる。このため、単にキャラクターダンスの勇壮なディヴェルティスマンに留まらない、一大叙事詩の広がりを持っている。前田新奈のチャガがイーゴリ公に向けた踊りは、同じ境遇の者に捧げられた深い哀れみと悲しみに満ちていた。いかにも前田らしい濃厚なパトスが、エネルギーの粒となって流れ出す。それを受け止め、しかし拒絶するほかないイーゴリ公の苦悩と憂いは、小林貫太が立ち姿のみで表現した。ボロディンの憂愁に満ちた力強い音楽は、むしろ日本人の舞台によって新たな生命を勝ち得ている。


ペトルーシュカ』は当たり年で、今年三つの国内バレエ団が上演したが、ペトルーシュカのドラマが生きられたのはこの小林版のみだった。群衆はおとなしめで演技の練り上げにやや物足りなさを残す。しかしペトルーシュカの小林貫太が、ニジンスキーの「メタモルフォーシス」を思わせる入魂の演技を見せている。ぶらぶらと脱力したペトルーシュカの両手に、弱者の哀しみが放たれる。無垢な心で踊り子を恋し、ムーア人を怖れ、ついには切り殺される哀れさ。麦わらに戻る瞬間が見えるようだった。亡霊となって人形師をあざ笑った後、ダラリと垂れ下がる上体がすばらしい。人の心をもった人形の哀しみが凝縮されていた。


中村しんじの人形師は胡散臭く懐が深い。踊り子はやはりプリマの役どころ。前田の強度で締まる。ムーア人の窪田央は少しおとなしいが愚かしさはよく出た。人形劇の幕開けで三者が下肢のみを動かす場面は鮮烈だった。フォーキンの精神が小林恭の息遣いによって蘇った瞬間である。


三作品ともに適材適所。独自の解釈にもかかわらず登場人物の原型が保たれているのは、役柄とダンサー双方に対する小林の理解の深さによる。とくに下村由理恵と後藤晴雄はこの空間で本質を露わにした。下村の肌理細やかな肉体、柔らかくまといつくようなシェネは驚異。後藤は何の留保もなく肉体の美しさを誇示しうる。ニジンスキーの狂気と重なるロマンティックな肉体だった。


大神田正美と大前雅信の大小コンビが献身的に舞台を支える。小林恭の出番は僅か。貴重な芸をもっと見たい。磯部省吾指揮、東京ニューシティ管弦楽団が、エネルギッシュな舞台と拮抗する力強い音楽を作り出した。(2006年10月14日 ゆうぽうと簡易保険ホール