酒井はな✕岡田利規『瀕死の白鳥 その死の真相』2021

標記作品を見た(12月10日 KAAT大スタジオ)。演出・振付は岡田利規、出演は酒井はな、編曲・チェロは四家卯大。愛知県芸術劇場 & Dance Base Yokohama 主催「TRIAD DANCE PROJECT ダンスの系譜学」の一角を形成する作品で、フォーキンの『瀕死の白鳥』に続けて上演される。中村恩恵の踊るキリアン振付『BLACKBIRD』よりソロ+自作『BLACK ROOM』*、安藤洋子の踊るフォーサイス振付『Study #3』よりデュオ+自作『MOVING SHADOW』**と共に、「振付の原点」+「振付の継承/再構築」というコンセプトで創作された。

今回は、8月の横浜トライアウト公演(Dance Base Yokohama)、10月の愛知県芸術劇場での本公演を経て、「DaBY パフォーミングアーツ・セレクション 2021」(YPAM 共催)での上演。酒井、中村、安藤(デュオをフォーサイス振付『失われた委曲』よりソロに変更)に、鈴木竜振付の3作品、橋本ロマンス✕やまみちやえの1作品を組み合わせ、5つのトリプル・ビルが作られている。当日は、中村によるキリアン+自作、鈴木作品『When will we ever learn?』との組み合わせだった(因みに、本作の横浜トライアウト公演最終日は関係者のコロナ陽性の疑いで中止となった―後に陰性と判明。今回が初見になる)。

本作に先立ち、フォーキン作、酒井はな改訂による『瀕死の白鳥』が、酒井によって踊られた。岡田が「情報量の多い体」と評した濃厚な肉体である。細かく割れた筋肉が可能にする緻密な振付解釈と、過剰なまでのパトスが自然に同居する。かつての座敷舞のようなオデットを思い出した。『瀕死』が密な体なら、『その死の真相』は密な体をほどく作業。白鳥が死んだ後、酒井はそのままシモテに向かい、白レースで飾られたマイクを装着する。岡田弁のダラダラ喋りで『瀕死』を分解、考えながら(もちろんテクストあり)動きを反芻する。「果たしてこの冒頭は死ぬと分かっているのか、解釈が分かれるが、私としては個人的には、ある程度死ぬのではないかと察している‟てい”で、着水します。何が原因で死ぬのか、何も分からないまま、私は死んでいく」。チェロの四家卯大も、酒井の考察に付き合う。頷いたり、酒井のフォーキン立ち返りに、瞬時に演奏で応じたり。

中盤、酒井がプラスティックの小玉をポアントで蹴ったのをきっかけに、なぜ白鳥が死んだのか、その真相が明らかになる。「水色とかピンクとか、鳥は色盲なので科学的ではないけど、ゴクンして素嚢に送り込んで、消化されることなく、蓄積して」と語ると、苦しそうにのどを押さえ、よろける。急に「オェー」とえづき出し、壁に手をついて「ゲー」、四家の傍で「ゲー」。横たわり倒れると、再び身を起こして、「死後解剖されて、体から玉がざくざく出てきて、写真が公表されて、丸いカラフルな玉がダレーと。これ全部一羽の白鳥から出て、そういう系のビジュアル。全身原油にまみれたヒト(トリ)はインパクトがあって、レジェンドに。私もそれなりにバズってバズって、欧米中心ですけど」。さらに、小学生のころ飼っていたオカメインコのチコちゃんが、最期は体をぶつけるようにしていたので、私も強く羽ばたくようにしている、と語り、片脚で立った後、後脚を伸ばして座り、それを前方に回して、徐々に前傾する。両手を口ばしのように「折り目正しく」合わせて、静かになった。

酒井は真っすぐに、淡々と、感情を込めることなく岡田の言葉を喋る。が、そこに仕込まれた‟無意識”を理解し、体に落とし込んでいる。現実と切り結ぶ岡田の批評的テクストを身体化できるプリマバレリーナは他にいないだろう。厚みのある濃厚な肉体、言葉の微妙なニュアンスと差異の表出、淡々としたユーモア、その背後にある慄然とさせられる現実が渾然一体となった、衝撃的なパフォーマンスだった。‟えづき”はシュプックやゲッケを踊った酒井にしかできない技。岡田のテクストはとても再現できない。天才としか言いようがない。

【参考までに「The 1st Proud & Hopes of Japan Dance Gala 2008」公演評を掲載する】

 横浜と東京の二公演に海外で活躍する日本人ダンサーが勢揃いした。出演順にABTソリストの加治屋百合子、スペイン国立ダンスカンパニープリンシパルの秋山珠子、モンテカルロバレエ団ソリストの小池ミモザドレスデンバレエ団プリンシパル竹島由美子、バーミンガム・ロイヤルバレエ団の厚地康雄他、門沙也香、留学生の大巻雄矢や桑名航平等が、レパートリーを含めた自らの現在を生きいきと披露している。

 秋山のドゥアト作『Arcangelo』と、竹島のドーソン作『on the nature of daylight』は好対照の作品。前者が女性を美しく見せる極めて美的なパ・ド・ドゥであるのに対し、後者は暖かく胸に沁み入るような対話としてのパ・ド・ドゥである。秋山と竹島、それぞれのパートナーの資質もこれに沿っていた。

 小池の『Amenimo』は『雨にも負けず』の詩句と打ち込みを使った自作コンテンポラリー。小池の高度にコントロールされた体が印象深い。

 全体を通して抜きん出たレヴェルを示したのは、現在日本在住の二人、元NDTダンサーの中村恩恵新国立劇場バレエ団の酒井はなである。

 中村の『ブラックバード』は初演時よりも研ぎ澄まされていた。体が熟す一方で油が抜け、たくましくも静かな肉体に変化している。身体コントロールは目に見えないほど細かく、鋭い。思索を重ねて肉体を自分の物にしており、東洋武術の名手といった風情だった。

 一方の酒井はシュプックの有名な『グラン・パ・ド・ドゥ』、古典バレエへの変形オマージュである。黒縁メガネに赤のハンドバッグを離さないコミカルなプリマ役だが、あらゆる古典の主役を踊った者にしかできない真のプリマのためのパ・ド・ドゥである。酒井は優美なラインと素の肉体を楽々と行き来し、コメディエンヌとしての才能を爆発させた。

 終幕のデフィレもシュプック。若手からヴェテランまで、沸き立つような明るい振付を踊って幕となった。夏定番のガラ公演となるのか、今後に期待したい。(8月15日 めぐろパーシモンホール) *『音楽舞踊新聞』初出