小林紀子バレエ・シアター 『バレエの情景』 『LA FIN DU JOUR』 『春の祭典』 2017

標記公演を見た(8月26日 新国立劇場オペラパレス)。マクミラン没後25周年記念公演と銘打たれたトリプル・ビルは、アシュトンの『バレエの情景』(48年)、マクミランの『LA FIN DU JOUR』(79年)と『春の祭典』(62年)というプログラム。マクミラン2作は日本初演である。演出には元ロイヤル・バレエのプリンシパルアントニー・ダウスンが招かれた。
『バレエの情景』は、87年のロイヤル・バレエ『春の祭典』再演時にも、同時上演された。共にストラヴィンスキーの音楽を使用、マクミランの最も好きなアシュトン作品という因縁がある(プログラム解説文)。一方、ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調に振り付けられた『LA FIN DU JOUR』は、『グローリア』や『影の谷』といった、マクミラン80年代戦争バレエの先触れであると同時に、ニジンスキーの『遊戯』、ニジンスカの『牝鹿』や『青列車』との関係も色濃く、『春の祭典』と共に、バレエ・リュスへのオマージュという見方ができる。双方とも、『ペトルーシュカ』を思わせる人形振りが採用されている(参照:Jann Parry, Different Drummer, London: Faber and Faber, 2009)。重層的に関連した濃密なトリプル・ビルで、特にクラシック語彙を使用しない『春の祭典』は、端正なロイヤル・スタイルを標榜する同団にとって大きな冒険だったに違いない。
幕開けの『バレエの情景』は、ローズ・アダージョを引用するなど、プティパへのオマージュが振付の根底にある。他方で、幾何学を使った全方向的なフォーメイションを特徴とするため、正面から見た絵柄はプティパやバランシンのように華やかではない。見た目は慎ましく、いつの間にか隊形が変わるといった印象。音楽とのシンクロもことさらに強調されず、何事も奥に隠そう隠そうとしている。表に出るのはクラシカルな美しさ、体を切り替える所作の切れ味である。主役の萱嶋みゆき(二日目 真野琴絵)を頂点に、アンサンブルの統一されたスタイルが素晴らしかった。全員が「小野絢子」に見えたほど。
男性陣は主役のアントニーノ・ステラ(ミラノ・スカラ座バレエ)を始め、上月佑馬、冨川直樹、荒井成也、望月一真が、美しいカヴァリエ・スタイルを踏襲、ダンスール・ノーブルの存在した時代を再現した。
二つ目の『LA FIN DU JOUR』は、ジャズを使ったラヴェルの音楽をバックに、30年代の狂騒的な時代が描かれる。島添亮子と高橋玲子という、二人の美脚バレリーナがいたからこそ上演可能な作品だった。水着姿から女性飛行士、さらにエレガントなシフォン・ドレスを美しく着こなし、鏡面のようなシンメトリー振付を優雅に踊る。美しいアダージョは、それぞれ5人の男性ダンサーが二人をリフトし続け、飛行する姿を見せるマクミラン・テイスト。リフトする側の苦労もさることながら、される二人の磨き抜かれたフォルムと隙のない動きに驚かされた。島添は湿気を含んだ大人の色気で周囲の空気を動かす。高橋はモダンで陽性、単独の存在感を示した。二人が向き合ってキスをする場面では、当時の華やかな香りが一気に立ち上る。献身的パートナーはステラとジェームズ・ストリーター(ENB)。プリマ島添の成熟に、マクミラン作品を踊り続けてきた歴史を思わされた。
最終演目『春の祭典』は、62年初演から82年まで、南ア出身のモニカ・メイスンが生贄役を踊り続け、アスレティックなパワーが衰えることはなかった。メイスンが退いた再演時には、女性主役と共にサイモン・ライスが抜擢される。今回はそれに倣い、初日を望月一真、二日目を澁可奈子が勤めた。
ニジンスキー復元版でも充分、大地に根差した踊りだったが、マクミラン版はさらに原初的。両手足首にバンドをはめ、入墨ペインティングをした短パン姿の若者たち、オールタイツの大人たちが、中腰で時折肩を斜めに傾げ、大地を踏みしめて踊る。長老は黒衣。人間バンブーダンスもあり、完全にモダンダンスの語彙だった。途中、二人の女性が向き合ってリフトされる『LA FIN DU JOUR』と共通の振りがあったが、マクミランらしさと言えばそのくらい。主役の望月は、ペトルーシュカを思わせる人形振りで犠牲の踊りを踊る。感情を凍結し、脱力したまま、取り付かれたように跳躍を続けて、死への恐怖を体現した。アンサンブルも、クラシックでは決して許されない腰を落とした格好にはまり込んで、マクミラン実験作の初々しい魅力を十二分に伝えている。
指揮はポール・ストバート、ピアノ演奏は中野孝紀(LA FIN DU JOUR)、演奏は東京ニューフィルハーモニック管弦楽団