川村美紀子新作『まぼろしの夜明け』2015

標記公演を見た(10月9日 シアタートラム)。夜はロベール・ルパージュの『針とアヘン』を見て、その実存と結びついた精緻な演出に唯々圧倒されたが、心が喜んだのは川村作品。やらかした、という感じ。チラシには「ヒトは、どれくらい踊れるだろう?」とあり、「限界まで踊ってみたい」ともあったので、80分間6人の男女が踊り狂って、スタンディング(客席がそうなっている)を強いられている我々も、最後には踊らされるのではないか、という一抹の不安があった。丁度風邪をひいていたし、どうしたものかと思ったが、見ることにした。
最後列を除いて客席を取り払い、広い四角の空間が作られている。天井には数個のミラーボール。中央にはお立ち台。6人の人間が白い薄物に覆われて横たわっている。観客はぐるりを取り囲み、ダンサー達を見つめる。様々な音楽、人の声、リズムを刻む電子音が、寄せては返す波のように続く。ダンサーは動かない。時折足の親指を動かすくらい。時計を見ると40分経過。体力温存策? 1時間たって、ようやく直立に向けて体を起こし始めた。目前のダンサーは、あおるような音楽に駆られて、立ち上がろうとする。立っている方からすると、「頑張れ」と言いたくなる。しかし力尽きて、再びうつ伏せになる。思わず笑ってしまった。最後の最後に全員が立ち上がり、海のかなたを見つめた。暗転。6人は再び横たわっている。拍手の隙を与えず、終了。
川村は「太い」と思った、体ではなく、魂が。全く踊らなかったが、動かないだけで、実は踊っていました、と言うかもしれない。ノンダンスなどと洒落たものではなく、やらかしたった、とか、バカヤロー、という感じの舞台。一瞬ゾンビかとも思ったが、それにしては健康的。生まれる前の子供のような無垢な存在感があった。川村は最後に立ち上がった。幼女のような乳臭さが漂う。それも一瞬だけで、すぐに暗闇になった。
スタンディングの効用。最初は壁に寄りかかっていたが、だんだん前のめりになり、腕組みして仁王立ちになった。音楽、空間に身を委ねる。じっと目の前の体を見る。そして応援する。座った時よりも、全身での空間享受になる。そしてダンサーを見ない自由もある。もし踊らない作品だと知っていたら、ここまでダンサーの体を注視しただろうか。今動くか、今動くか、と思いながら、80分が過ぎた。面白かった。もちろん踊れるダンサーがじっとしているから、見ていられたのだ。