10月に見た公演 2017

10月に見た公演について、短くメモする。


●第19回早川惠美子・博子バレエスタジオ公演(10月21日 メルパルクTOKYO)
プログラムは、早川惠美子振付『シンフォニーNo.8』、間宮則夫振付『ダンスパステル』、早川(惠)改訂、溝下司朗監修『ライモンダ』より第3幕。
間宮の『ダンスパステル』(95年)は9回目の上演。惠美子が50歳の時に「60歳まで踊れる作品を作って欲しい」とオランダ在住の旧友、間宮に依頼したとのこと。これまで何度も見ているが、いつも捉えどころのない不思議な気持ちに襲われる。宮廷舞踊風の動き、民族舞踊風の動き、舞踏のようなスローモーション、アイコンタクト、間を読む感覚、と言語化したところで、何も言ったことにならない。音楽と動きが織りなす完璧な詩、分析不可能な塊である。早川(惠)、早川(博)、坂本登喜彦、足川欽也のオリジナルメンバー。リフトはややきつそうに見えるが、惠美子の腕使いを含めた上体の絶対的美しさ、エポールマンによる空間の鮮やかな切り取り、博子の人間的暖かさ、坂本のクールな二枚目ぶり、足川の懐の深さとユーモアは健在。もしキャストを変えたら、全く別物になるだろう。奇跡的な作品。


イデビアン・クルー『肩書ジャンクション』(10月22日 東京芸術劇場シアターイースト)
振付・演出は井出茂太、出演は斉藤美音子、菅尾なぎさ、福島彩子、後藤海春、酒井幸菜、中村達哉、原田悠、三橋俊平、井出。井出の怖ろしく巧いダンスに、動きの振り移しや演出そのもののダンス化、名刺交換、お辞儀、自動車教習所などの日本的身振り、椅子取りゲームといった小場面を組み合わせた作品。動きやタイミングの外しに、不条理感がそこはかとなく漂う。初期の頃、パークタワーホールで見た作品は、喪服(着物)を着たダンサーが黙々と日本的所作を繰り返していた(客席にいた合田成男が隣の女性に「彼は舞踏の人?」と尋ねたほど)。また9月の岩松了作品『薄い桃色のかたまり』では、ゴールド・シアターの面々に盆踊り風の振付を施している。これらに比べると、スタイリッシュで洗練された作品と言える。
ただし、井出が放つ独特のオーラと周りのダンサーとの乖離が気になる(菅尾を除く)。井出は超ダンサー。全身が襞のように分節化され、外からのメソッド(あったとして)の痕跡を微塵も感じさせない。全てのリズムに体がスポスポはまり、その一つ一つのフォルムが絶対性を帯びる。つまり巧いのである。「ディスコ」でスターになれるカリスマ性と、唐十郎に似た犯罪者の目付きは、観客との彼我を截然と分ける。踊ることで世界の裏側まで行けるダンサー。本来は同じ裏の匂いのするダンサーを起用するはずだが、なぜか踊ることより身体性を追求する優等生タイプを選んでいる。もしストリート系のやんちゃタイプを使ったら、爆発的な作品になっただろう。やさぐれた菅尾のみが、井出の後を追っている。


●バットシェバ舞踊団/オハッド・ナハリン『LAST WORK―ラスト・ワーク』(10月28日 彩の国さいたま芸術劇場大ホール)
2015年の作品。両袖にグレーの衝立が数枚置かれ、そこからダンサーが出入りする。舞台シモテ後方では、冒頭から終幕まで65分間、青のワンピース女性がランニングマシーンで走り続ける。その意味は分からないが、効果としては空間への楔のようなもの。負荷を掛けた体がそこにあり続けるので、空間に現在性が加わる。
これまでのバットシェバの印象は、複雑な振付をハードに踊りながら、ダンサーが自分であり続けるというもの。半ば観客に見せながら、自分の身体と対話しているので、ダンサーも観客も気持ちよくなるが、パフォーマンスについて何か言う気になれなかった。今回は体の声を聴くことを、観客に見せている。ダンサーの自由度は少なく、振付そのものを見ることができた(ただし後半終結部ではいつもの踊りが爆発)。
前半は、武術とバレエを組み合わせた高度にコントロールされた動き。スローとクイックの切り替えが太極拳を思わせる。またグレアムかフェルデンクライスのような床を使った動きや、胡坐、正座、蹲踞、Y字バランスなども。ダンサーのフォルム、フォーメイションは切り詰められ、舞踏を連想させる。中心となる中村恵里とウィリアム・バリー(?)によるパ・ド・ドゥは美しかった。そしてバットシェバを見て美しいと思ったことに驚かされた。宗旨替えしたのだろうか。中村は抜きん出て美しいダンサー。前半部の流れるような動きが鮮やかで、磨き抜かれた体であることを示す。対照的に、踊り狂う後半部ではパワーが足りなかった。前半部は中村を生かす振付と言える。
最後はダンサーたちがバラバラに座り、慟哭する。マイクで歌っていた男が粘着テープで全員(ランナーも)を結び付け、ランナーに白旗を振らせる。過酷な戦争体験をした(エンターテイメント部隊ではあったが)ナハリンの願いなのだろう。