新国立劇場バレエ団『ドン・キホーテ』2016

標記公演を見た(5月3、4、5、7日 新国立劇場オペラパレス)。改訂振付はアレクセイ・ファジェーチェフ。ゴルスキー版の流れを汲む簡潔な演出。あまり辻褄合わせをせず、キャラクター色の強い踊りと古典バレエの見せ場を、ダイナミックに繋ぐ(辻褄が合い、19世紀の香りがするのはヴィハレフ版)。梶孝三の明るいフラットな照明は、「踊り自体を見せる」という信念に基づいている。今では貴重な照明アプローチだ。
今回は全体に品のよい仕上がりだった。主役、ソリストの技術が保証され、必ずしも熟練とは言えないが、全員芝居が徹底されている。何よりも、東京フィル率いるマーティン・イェーツの指揮が素晴らしかった。ミンクス(他)の音楽が、これほど気品にあふれたことがあっただろうか。2幕カスタネットの踊り(カルメンシータ)の曲が、耳に付いて離れない。
主役は3組。米沢唯と井澤駿の初日は、米沢の座長芝居が際立った。踊りながら、パートナーや周囲を牽引し、舞台を作り上げていく。米沢の集中力は映画女優田中絹代を、演出力は舞台女優の杉村春子(小津組の4番バッターでもある)を思わせる。隅々まで神経の行き届いたライン、代名詞となった回転技、全身を使ったコミュニケーションも素晴らしく、古典ダンサーとして成熟の一途を辿っている。井澤はすくすくと成長し、あるべき姿を目指している。『ロミオとジュリエット』で二人がどのような変異を遂げるのか、楽しみ。
小野絢子と福岡雄大は、磨き抜かれた3幕アダージョに、二人の長い歴史を感じさせた。1幕での小野は、大きく見せようとする意識がやや透けて見える。山椒は小粒でもぴりりと辛い。日本バレエ協会『眠れる森の美女』では、小野、福岡とも伸び伸びと踊っていた。ロシア人指導者と息が合ったのか、あるいはアウェイの方が気持ちが楽なのだろうか。
木村優里と中家正博は、中家の正統的才能に目を奪われた。牧阿佐美バレヱ団に入団した時も、逸材であることは明らかだったが、今回の古典全幕主役で、本物だったことが証明された。正確なポジションが生み出すラインの美しさ、行き届いた技術、サポートを含む優れたパートナーシップ、さらに観客に開かれた舞台姿勢。踊りは優雅で力強く、ゆったりとした中にも、厳しさがある。バレエ団男性ダンサーの配置を組み替える才能である。一方、木村は1幕では何か迷いが感じられたが、2、3幕のチュチュ姿は華やかな大きさを誇った。3月のチャコット主催『バレエ・プリンセス』(伊藤範子演出・振付)では、白雪姫の内面を表す苦悩のソロを踊り、ドラマティックな資質が明らかになった。今後、マノンや椿姫のような役どころが予想される。
今回は主役3キャストを含め、配役を読み解く面白さがあった。大原監督がダンサーをどのように捉えているか、どのように育てようと思っているか(小柴富久修のエスパーダ!)がよく分かる。一方で、立ち役は初役が多く、さすがに、前回の山本隆之(ドン・キホーテ)、吉本泰久(サンチョ・パンサ)、古川和則(ガマーシュ)、輪島拓也(ロレンツォ)が作り出したような、即興的自在さを感じさせるには至らなかった。4人全員が舞台経験を積んだ、味のあるダンサーだからこそ可能な演劇空間。キャラクターのプリンシパルダンサーを抱える余裕が、国立のバレエ団にもないことは、残念というしかない。
初役でも爆発的面白さを見せたのが、ロレンツォの福田紘也。さらにフルフォード佳林が超脇役と言えるロレンツォ妻役で、見せ場を作った。二人とも持って生まれた才能があるのだろう。初役ではないが、八幡顕光のサンチョ・パンサは、一分の狂いもなく音楽とシンクロする動きが素晴らしかった。
街の踊り子・長田佳世の美しい体、同じく寺田亜沙子の美しいライン、メルセデス・本島美和は公爵夫人でも周囲に祝福を与えた。役を生きている。カスタネットの堀口純、森の女王の細田千晶ははまり役。エスパーダの小柴は、踊りの切れはこれからだが、ユーモアがあり、相手と対話のできる点が長所。キューピッドの広瀬碧は愛らしく、小キューピッドとの呼吸合わせに優れていた。中家のボレロは理想形。牧で踊ったエスパーダ(初役時)を思い出させた。また、ベテラン江本拓の粋で美しいトレアドールは、男性ダンサーの模範である。