NBAバレエ団『ロミオとジュリエット』2017

標記公演を見た(2月26日 東京文化会館)。振付はマーティン・フリードマン。83年にタンパ・バレエ(中島伸欣、パトリシア・レンゼッティ)で初演され、その後コロラド・バレエでも上演された(03年久保綋一、シャロン・ウェイナー)。フリードマン版の特徴は、物語を語る上での細やかさ、自然に呼吸するような音楽性にある。前者では、舞踏会で出会ったロミオとジュリエットがそれぞれ、相手の名前を第三者に尋ねる場面を加えて、バルコニーシーンに悲劇の予感を漂わせた点、二幕最後に大公が「ロミオ追放」を言い渡し、モンタギュー夫人が倒れるのを視覚化した点、全幕に両家を登場させ、悲劇の原因を明確にした点、マキューシオ、ティボルト、パリスの死の説得的な演出、何よりも三幕ジュリエットの絶望と希望の揺れ動きを緻密に描き出した点が挙げられる。この場面では、両親と乳母、パリスが背を見せて立つなか、両親と乳母にすがるように、ジュリエットが激しく独白する(踊る)。また乳母を一旦拒絶したジュリエットが、立ち去る乳母の背中に追いすがろうとする。ナイフと薬を天秤にかけ、ロミオの去った窓に手を差し伸べ、勇気を得て薬を飲むジュリエット。ロレンス神父の細やかなマイムも加わり、絶望から一条の光を求めて薬を飲む経緯が、手に取るように分かった。
音楽性については、バルコニーシーンが象徴的だった。音楽とダンサー、及び観客の呼吸が一致する、自然な振付である。物語と音楽の密接な結びつきも、随所で感じさせた。演出面では、登場人物のキャラクター造形が際立つ。主役二人は言うまでもないが、特にティボルトの血気盛んな様子、キャピュレットの父権的な威圧、ロレンス神父の精神性が、明確に描かれていた。ダンサーの個性と可能性を見抜いた配役、踊りのスタイルの徹底、主役からアンサンブルに至るまでの思い切りのよい踊りが、上演レヴェルの向上に大きく寄与している。
主な役はWキャスト、その二日目を見た。ロミオは宮内浩之、ジュリエットは竹内碧の若手カップルである(初日はゲストのウラジーミル・シクリャローフ、峰岸千晶)。宮内は爽やかでノーブルなロミオ。踊りに癖がなく、立ち居振る舞いに品がある。難度の高い振付も敢然とクリア。理想の恋人という難しい役どころを、これ見よがしなく演じている。対する竹内は、アラベスクが躍動する少女がいきなり恋に落ち、すぐに絶望の淵に立たされ、そこから一筋の希望を持つに至る起伏の激しい役を、見事に生き抜いた。一つ一つの感情が竹内の腑に落ちて、ゆっくりと醸成されたのが分かる。独壇場とも言える三幕で、観客は竹内と共にジュリエットを生きることができた。
高橋真之のペーソスあふれるマキューシオ、清水勇志レイの若々しく躍動感あふれるベンヴォーリオ、土橋冬夢の抜き身を思わせる鋭いティボルト、ジョン・ヘンリー・リードの強権的なキャピュレットと佐々木美緒の美しい夫人、マーカス拓也ライリーの清々しいロレンス神父、また、大ベテラン西優一があっさりとした芝居で、短い出番の大公を印象付けた。
ロイヤルチェンバーオーケストラ率いる冨田実里が、舞台に寄り添う指揮で大きく貢献。墓所のシーンでは小柄な体からパトスが噴出し、劇場を揺るがす音が鳴り響いた。