川口隆夫『大野一雄について』2017

標記公演を見た(12月3日 彩の国さいたま芸術劇場 小ホール)。本作は2013年にd-倉庫「ダンスが見たい」で初演、その後、国内のみならず世界各国で上演を重ねてきた。彩の国では関連プログラムとして、川口のワークショップ(本作の制作過程を体験)、ギャラリーでの展示「モダンダンスから舞踏へ」、さらに公演日の本番前に大野一雄のアーカイヴ映像を別途上演した。ワークショップはアーティスト限定だったので未経験だが、ギャラリーの展示は大野のモダンダンス時代のポスターやノートなど、興味深いものが多かった。映像は、初日が長尾千秋監督『O氏の肖像』(1969)、二日目が『ラ・アルヘンチーナ頌』初演映像(1977)。『O氏』では大野の運動性、頑健な肉体が印象深い。大きな手足に、広い土踏まず。長身で膝から下が長いのは、日本人には珍しい体形。カブに颯爽と乗り、猿のように身軽に動く。止まっていてもエネルギーを感じさせるのは、晩年と同じ。群舞で人と同じことができなかったとしても、健康的なモダンダンサーだったのではないかと思わせる。二日目の『ラ・アルヘンチーナ頌』では、土方の演出・振付を見ることができた。ラ・アルヘンチーナとなった大野は、バッハの「トッカータとフーガ」で客席から登場する。20世紀初頭に生きた女性舞踊家の優雅な佇まいが再現された。
川口も、同曲で劇場客席に登場した(直前には劇場アプローチを使ってモノとの即興が繰り広げられた、『O氏』の引用とのこと)。大野を一度も見たことがない川口の手法は、記録映像を見て動きをコピーするというもの。ビデオを停止させ、その静止画をスケッチする。2秒に1枚のスケッチ。『〈「形」を完璧にコピーすることができれば、「魂」をコピーすることができる〉という仮説。素粒子や量子の極微の世界に宇宙をみるように。』(プログラム)。プログラムに掲載された川口のスケッチは面白く、大野のノンシャランな動きが見えてくる。
実際の動きは、もちろん川口の動きだった。大野が見えると言うより、大野をコピーする川口が見える。大きな違いは大野がモダンダンス、川口がマイムをベースとする点。抒情的な音楽で揺蕩うように踊る振付では、大野の優れた音楽性の不在が明らかになった。つまり踊りになっていない。一方、土方振付と思しき動かない振付では、コピーを突き抜けた川口の踊りになっていた。ただし、目鼻の付いたオレンジ色の被り物の効果も大きい。川口の精神を映す顔の表情が消えて、体のみに集中することができたから。女装のアプローチも異なっている。大野は憧れの人と一体化するための女装だったが、川口はピエロとドラグクイーンを合わせた批評的佇まい。大野の優雅で気品のある立ち姿をコピーする意図は見えなかった。物まねではないと言うことだろう。両性具有の香りや色気も感じられず。川口の切り刻まれた剝き出しの精神のみが、後味として残った。