新国立劇場バレエ団『ホフマン物語』 2018 【訂正あり】

標記公演を見た(2月9,10,11日 新国立劇場オペラパレス)。 ピーター・ダレル版『ホフマン物語』は1972年、スコティッシュ・シアター・バレエ(後のSB)で初演された。大原永子芸術監督は75年の入団、3人の女性主役全てを踊っている。新国立劇場バレエ団では大原監督就任【2年目】シーズンの開幕作品として、15年に初演された。
ダレル版はオッフェンバックの同名オペラを母体に、ランチベリーが編曲を施したグランド・バレエ。4人の女性に恋をする詩人ホフマンが主人公である。一幕は自動人形のオリンピア、二幕はバレリーナのアントニア(オペラでは歌手)、三幕は高級娼婦のジュリエッタ、プロローグ・エピローグはオペラ歌手のラ・ステラが相手となり、悪の権化であるリンドルフ、スパランザーニ、ドクターミラクル、ダーパテュート(1人4役、プログラムにはリンドルフの記載しかない)が、ホフマンの恋の邪魔をする。
ランチベリーはオペラ版の名曲に加え、オッフェンバックの他曲からも選曲、多彩な音楽を展開した。オリンピアのアリア、ホフマンとアントニアの二重唱、舟歌、七重唱曲(ジュリエッタ・ソロ)等が巧みに変換されている。ダレルも幕ごとに振付スタイルを変え、職人技とも言える緻密な演出と物語に奉仕する振付を見せる。バレエ・スタイル変遷への歴史的視野に加え、アシュトン、プティ、クランコ、同い年のマクミランとの濃厚な影響関係が明らかだった。美術(川口直次)、衣裳(前田文子)、照明(沢田祐二)の練り上げられたコラボレーションも新国版の大きな魅力。緑や青の照明に彩られたオーロラ状の白チュールをバックに、黒チュチュのダンサーたちが踊る幻影の場は、単独で上演できる完成度の高さである。
ホフマン3人は前回と同じ配役。初日の福岡雄大は踊りの鮮やかさはそのままに、演技面での深まりを見せた。特に老け役は前回よりも力が抜けている。ロシアン・ソロは美しく、三幕苦悩のソロは鋭い振付解釈を見せて、動きへの感度を誇った。二日目の菅野英男は存在が周囲に滲み出る境地。老け役で若者にまとわりつかれる様が、地のように見える。踊りの組み立て、3人のバレリーナへのサポートも自然。特にアントニアの小野絢子を自在に踊らせている。十字架攻撃の巧さは相変わらずだった。最終日の井澤駿は2年間の経験を反映する出来栄え。肉体の存在感に加え、老け役からコミカル、ロマンティック、ストイックな役をその場で生きることで、焦点の定まりにくい作品に一本の筋を通している。特にアントニアの米沢唯とは強力な感情の応酬があった。踊りも地力を発揮、ロシアン・ソロは勇壮で躍動感にあふれた。
もう一人の主役は1人4役のリンドルフたち。初日の中家正博ははまり役。初演時に配役されるも故障降板、その時の役作りにさらに磨きをかけたと思わせる演技と踊りだった。プティのフロロを踊ったことも経験となっているだろう。リンドルフの鋭くノーブルな佇まい、スパランザーニの鮮やかな脚技とコミカルな演技(プティのコッペリウスを想起)、ドクターミラクルの気の力、ダーパテュートの妖しげなエロティシズム、ホフマンを絶望の淵に沈める最後の指さしは、指先から光線が見えた。二日目の貝川鐵夫は、ノーブルな味わいにおっとりした人間味が加わる。悪そのものというよりも、悪であることを楽しむベテランならではの余裕があった。
オリンピアは3人。初日の池田理沙子ははまり役。可愛らしさもさることながら、自動人形という役への理解の深さがそのまま動きとなって表れる。隅々まで人形だった。二日目の柴山紗帆はクラシカルで美しい人形振り、最終日の奥田花純は愛らしくヒューマンな踊りだった。
アントニアは初日と二日目が小野、最終日が米沢。小野は二夫にまみえることになったが、福岡とは双子のような対等のパートナーシップ、菅野とは兄と妹、幻影の場ではバレリーナとカヴァリエの理想的なパートナーシップを築いている。娘らしい演技、クラシック・シーンの気品は持ち味、ジゼルを思わせる死に至る場面では一段と迫力が増した。一方の米沢はホフマン井澤との感情的結びつきを感じさせる。アダージョでは火花の散るようなダイナミックなリフトでパートナーへの信頼を示し、自己放棄を旨とするプリマの境地を明らかにした(指揮者感知)。中家のドクターミラクルを加えた「黒鳥」のような三つ巴シーンでは、三者のエネルギーがドラマティックに渦巻く。一人、芸術(踊り)に生きた前回よりも相手との呼応が感じられ、懐の深い演技となった。
ジュリエッタは3人。初日の米沢は虚無感を漂わせる高級娼婦。何もかも虚ろで、ただ自分の身体を通り過ぎていくだけという心境に見える。踊りは怖ろしく自在。長いリフトは魂が浮遊するようだった。二日目の本島美和は前回の実存的造形から、一歩先に進んでいる。臈たけた美しさが光輝き、この世の全てを抱擁する慈愛に満ちている。娼婦と聖母マリア、遊女と観音菩薩という男性の望む理想的女性の顕現だった。最終日は若手の木村優里。いかに木村と言えども高級娼婦には見えず、井澤ホフマンとのパ・ド・ドゥは、ロミオとジュリエットの初々しさだった。二人の似通った存在感に、今後のパートナシップが期待される。なおラ・ステラも本島と木村の配役。本島の細やかな芝居のせいで、今でも音楽が耳に残る。
ホフマンの友人は、福田圭吾、井澤諒、奥村康祐が華やかに踊る一方、原健太、小野寺雄、木下嘉人が仲良し三人組の楽しさを見せる。召使いは郄橋一輝と小野寺が呼吸のよさ、宇賀大将と福田が動きの面白さで一幕に活気を与えた。ウェイトレス五月女遥の活きの良さ、幻影の寺田亜沙子、細田千晶の風格、同じく渡邊峻郁の鮮やかな踊り、一幕アンサンブルを率いる浜崎恵二朗の明るい笑顔が印象深い。三幕客人たちは男女共に自慢の肉体美を披露、パンツ一丁の男性(二日目)が一際目立ったが顔を判別できなかった。内藤博が酸いも甘いも噛み分けたカフェの主人を演じている。
「ニューイヤー・バレエ」に引き続き、ポール・マーフィ指揮、東京フィルの演奏。マーフィのダイナミックな指揮が舞台を牽引する。ただしヴァイオリン・ソロはもう少し味わいが欲しい。