2月に見た振付家・作曲家 2018

2月に見た振付家等について短くコメントしたい。


●ノイマイヤー @ ハンブルク・バレエ団 『椿姫』 「ジョン・ノイマイヤーの世界」 (2月4.7日 東京文化会館
『椿姫』を見るといつも複雑な気分になる。マノンとデ・グリューの場面は必要だろうか。特に黒のパ・ド・ドゥ直後のシーンは余計に思われる。マルグリットは気持ちの持っていき方が難しいのではないか。ストーリーテリングが身体(生理)に沿うのではなく、心理主義に傾いているので、よく言われるように説明的になる。マルグリットのコジョカルは、ハイデを思い出させた。慈母のような佇まいが一転して若々しい恋する乙女になる。産後のせいか少し動きが抑えられたこともよかった(以前は動き過ぎ)。息が上がっていたのはリアリズム(結核)なのか、 それともリアルに苦しかったのか。全身全霊を傾けた演技を久しぶりに見ることができた。本当に信頼できる舞台でないと発揮できない正直なタイプ。ノイマイヤーのメンターとしての資質を見た気がする。
ジョン・ノイマイヤーの世界」では、『マタイ受難曲』が最も印象的だった。動きを一から作り、ペテロ役のダンサーには内側から踊ることを要求する。物語作品におけるクラシック語彙のアンシェヌマンは、先達のアシュトン、プティ、マクミランに比べると普通だが、『マタイ』では動きそのものを作ることへの熱い情熱が迸った。アメリカ・モダンダンスの影響が濃厚に感じられる。


●津田ゆず香 @ 「新進舞踊家海外研修員による現代舞踊公演」 (2月14日 新国立劇場小劇場)
津田の振付家としての特徴は、全てに計算が行き届いていて、なおかつ自分の感覚が隈なく反映されている点にある。外側の目と内側の感覚の往還・すり合わせが、ぎりぎりの地点まで行われている。振付は極めて高度。アクロバティックなもの、日常的な身振りをまぜながら固有の振付に到達する。祝祭的な盛り上げ方も緻密。自身に対しても、木原浩太との濃密なパ・ド・ドゥの直後に、きついランニングを課して(少し息切れ)容赦ない。ダンサーは皆、熟練の人々。大前裕太郎の面白さ、解放感が楽しかった。ダンサー達のプロフィール写真(プログラム)は、隣の写真の人が背後に写り込んで数珠つなぎに。津田の昭和音楽芸術学院舞台芸術科・舞台監督コース卒業という経歴は、作品の構成力と関係があるような気がする。


●金森穣 @ Noism01 『NINA―物質化する生贄』 (2月18日 彩の国さいたま芸術劇場大ホール)
2005年初演と比べると、女性ダンサーの人形振りが大きく変化していた。初演ではバレエの人形振りの延長だったものが、Noismメソッドを経た高性能な人形振り(ロボット振り)に変わっている。リフト時の硬直、というか、体の殺し方=モノ化が素晴らしい。走行、歩行における鈴木メソッドの影響、さらに東洋武術的な要素も加わり、アジアのカンパニーとしてのアイデンティティを強く感じさせた。演出は後半部が少し盛り込み過ぎの感があったが、振付そのもので見せることができる稀少な振付家である。中心の池ヶ谷奏が、クラシックの切れと重心の低さを融合させ、金森の細かい振付を実現している。また吉粼裕哉が池ヶ谷とのパ・ド・ドゥで、ロマンティックな物語性を発揮した。中川賢の切れのよさ、特別出演 山田勇気の暖かさと指導力(3人の女の姿勢を直す)、チャン・シャンユーの伸びやかな踊りが印象深い。同時上演は井関佐和子に振り付けられた新作『The Dream of the Swan』。死を前にした女を描いたものだが、井関に対して少し残酷な印象を受けた。ミューズへの愛情が、金森独特のストイシズムによって変形したのだろうか。


ジョルジュ・ビゼー @ 『真珠とり』 (2月24日 東京芸術劇場コンサートホール)
コンサート形式のオペラ。照明の変化や歌手・合唱団の出し入れにより、歌への集中が促される好演出だった。歌手はズルガの甲斐栄次郎を除いて、役の歌を望めず、合唱の声も若過ぎたが、それでもビゼーの美しさを全身で味わうことができた(指揮は佐藤正浩管弦楽はザ・オペラ・バンド、合唱は国立音楽大学合唱団)。『真珠とり』をCDで聴くようになったのは2005年、新国立劇場バレエ団が石井潤振付の『カルメン』を新制作して以来。オペラ『カルメン』に、『真珠とり』や交響曲『ローマ』を組み合わせた優れた音楽構成だった(編曲:ロビン・バーカー)。有名なナディールの一幕アリアは二幕ホセのソロで使用された。山本隆之の佇まいがおぼろげながら目に浮かぶ。『真珠とり』は全編を波が寄せては返すようなリズムに覆われたオペラ。ソロ、重唱、合唱のどれもが素晴らしい。三幕でオーボエが聞き覚えのある旋律を吹いた。ビゼー交響曲1番二楽章の出だしだった。三幕二場はタランテラのリズム。いつかどこかでバレエ化して欲しい。