1月に見た公演 2023

 1月に見た公演について、メモしておきたい。

ケダゴロ『ビコーズカズコーズ』(1月12日 東京芸術劇場 シアターイースト)

振付・構成・演出は下島礼紗。殺人を犯し、時効成立の21日前に逮捕された福田和子をモチーフとした作品である。女囚とホステス・アンサンブルに、ニュートンアインシュタイン役の男性ダンサー2人が登場。21年初演作を〈完全版〉として再構築したと言う。初演を見ていないので比較はできないが、これまで見た『sky』(18年)、『세월』(22年)と比べると、知的意匠が散りばめられ、批評性よりも下島の才気が前面に出た。

下島は知性と批評性が運動神経と連結する、珍しいタイプの振付家である。今回も天井に張り巡らされたパイプを、ダンサーたちが猿のようにぶら下がり、天井裏に一瞬のうちに入り込むなど、下島の動物並みの動きが転写される。男性ダンサー2人のダイナミックで過酷な動きも加わり、他カンパニーの追随を許さない運動量を誇る。福田和子の「逃げる」切迫感はよく伝わってきたが、上記2作にあった内省を観客に促す問題性は希薄で、常に遊びに逃れるエンタテインニングな作品に思われた。

出入りを含めた演出は緻密。昭和の旅館を舞台に、防火バケツ、四角い蛍光灯の傘、卓袱台、格子リノリウム、カラスの鳴き声、かつら、マラカス、手錠などの道具立て、及び『いちご白書をもう一度』といった選曲も的確。ロープを使ったぶら下がり振付、青シートのぐるぐる巻きもよく工夫され、和風フィジカルシアターの趣だった。ダンサー下島は肉体のみならず、精神性もすばしっこい。出てくるだけで面白い希少なダンサーである。

 

新国立劇場バレエ団「ニューイヤー・バレエ」(1月13日、14日昼夜 新国立劇場オペラパレス)

くるみ割り人形』が1月3日に終わり、10日後に開幕。すでに故障者が出ていた上、初日にもアクシデントがあり、キャスティングの変更を余儀なくされた。吉田監督になり、理学療法やトレーニングマシーンの導入など環境面は改善されている。一方、昨年の速水渉悟、山田悠貴、奥村康祐、今回の木村優里、廣川みくり、池田理沙子と、故障降板が従来よりも目立つ。スケジュールや配役に無理があるのではないか。

プログラムは、デヴィッド・ドーソン『a Million Kisses to my Skin』(2000年)、ジョージ・バランシン『シンフォニー・イン・C』(47年)、その間に海外ゲストダンサーによるプティパとノイマイヤーのパ・ド・ドゥを挟む。‟オーガニック・フォーサイス” と呼ばれるドーソンとバランシンの組み合わせは、クラシック・スタイルの派生を考える上で興味深く、ダンサーの新生面を開拓できる作品選択でもある。ただし、中間の2つのパ・ド・ドゥは、パフォーマンスのレベルは高いものの、やや場違いな印象を受けた。所属ダンサーが踊れば、プログラムの連続性が感じられたかもしれない。

幕開けのドーソン振付『a Million Kisses to my Skin』は、ダンサーが舞台で経験する「100万回のキスを同時に肌に受けたような感覚」を呼び起こそうとした作品とのこと(リーフレット)。水色レオタードと水色パンツの衣裳(竹島由美子)は、中心ダンサーになるにつれて薄くなり、振付の構成を視覚化する。床面には白い巨大な四角、そこに降り注ぐ天井からの照明(バート・ダルハイゼン)が、一種浮遊感をもたらして、現実離れした空間を形成。遍在する光は涅槃のようだった。

音楽はバッハのチェンバロ協奏曲1番(ピアノ:高橋優介)を使用。フォーサイスを柔らかく、よりクラシカルにした暖かみのある振付で、ダンサーたちの出入り、ソロ、デュオが、白昼夢のように展開される。第1キャスト(米沢唯・渡邊峻郁、柴山紗帆・速水渉悟、小野絢子・中島瑞生に、五月女遥、中島春菜、根岸祐衣)は、米沢の個性が反映し、繊細で透明感あふれる仕上がり。第2キャスト(直塚美穂・奥村康祐、柴山・速水、飯野萌子・森本晃介に、五月女、山本涼杏、川口藍)は、直塚の個性を反映し、ダイナミックでパッショネットな仕上がり。さらに森本の頭から突っ込むような破格の勢い、山本の切れのよい爽やかさと、新加入組の活躍も目立った。第2キャストを経験した柴山が、第1キャストに戻ってより大胆な動きを見せたことも印象深い。

『眠れる森の美女』第3幕よりグラン・パ・ド・ドゥを踊ったヤスミン・ナグディとマシュー・ボールは、ロイヤル・スタイルを丁寧に見せる。ナグディは人柄の良さ、ボールはきめ細やかなサポートに抑制的なヴァリエーションで、英国スタイルの美点を披露した。二人とも、観客と細かくコミュニケーションを取るカーテンコールが素晴らしく、新国立のダンサーにとって教育的な役割を果たしたと思われる。

ノイマイヤーの『ドン・ジュアン』(抜粋)を踊ったアリーナ・コジョカルとアレクサンドル・トルーシュは、やはりワールドクラスのダンサーだった。ドン・ジュアンを光の方に導く白い貴婦人役のコジョカルは、天才としか言いようがない。音楽との自在な戯れ、役解釈をそのまま生きる体、リフト時の絶対的フォルム。真似をしようもないレベルにある。トルーシュはドン・ジュアンには見えない好青年。複雑なリフトを巧みにこなし、コジョカルの至芸の受け皿となっている。

バランシンの『シンフォニー・イン・C』は、5年振り6回目の上演。指導がパトリシア・ニアリーからベン・ヒューズに代わり、まろやかで抒情的なスタイルになった。その反面、ムーブメントの正確さが薄れ、ニアリーの「明日いつ死ぬか分からないから、今日のことは命がけでやるの」(伝 酒井はな)というフルアウトの気迫は感じられない。タフなスケジューリングも理由の一つだろう。

1楽章は米沢唯/柴山紗帆、福岡雄大、2楽章は小野絢子、井澤駿、3楽章は池田理沙子(初日負傷で代役 奥田花純)、木下嘉人、4楽章は吉田朱里、中家正博という配役。吉田は木村優里降板のため、抜擢された。米沢はドーソン作で中心を踊ったせいか、いつもの疾風のような踊りは影を潜めたが、晴れやかな佇まい、柴山は美しいパ、福岡は力みがなく自然体だった。

ドーソン作でもアダージョを踊った小野は貫禄の2楽章。井澤を相手にキリッとしたプリマの踊りで舞台を支配した。池田、奥田と共に溌溂とした踊りを見せた木下は、初日の終幕でツイと退場した姿が忘れられない(パートナー不在のため)。吉田は振付が入り切っていない印象だが、透明感のある佇まい、中家はかつての『セレナーデ』同様、美しい跳躍、騎士のようなサポートで、バランシンのあるべき姿を示した。ドーソン作で小野と同パートを踊った飯野(1)のくっきりとした音楽性、ドーソン作で中心を踊った直塚(3)の真っ直ぐな踊りも印象深い(米沢同様きつかったのか、歯を食いしばっていた)。従来よりもやや祝祭性に欠けるが、正月らしい華やかな作品。万全の状態で見たかった。ポール・マーフィ指揮、東京交響楽団の演奏による。