山崎広太 @ whenever wherever festival 2018 「そかいはしゃくち」

山崎広太主宰のボディ・アーツ・ラボラトリーが、8回目の whenever wherever festival を開催した(4月26日-29日 北千住BUoY)。山崎企画のBALパフォーマンス・プログラムに加え、4人のキュレーターがそれぞれの企画を持ち寄る形式。キュレーターには、ダンサー・振付家の福留麻里、同じく aokid、演劇作家の村社祐太朗、映像作家の七里圭、さらに建築家の木内俊克と山川陸が空間デザインを担当した。ビルの地下一階全てが会場。ぶち抜き5部屋のうち、1室には大浴場の跡が残る。奥にはボイラー室らしきものもあり。原空間を知らないので、木内=山川がどれだけ手を加えたか明確には分からないが、柱には長い蛍光灯、空の浴槽にも底からの照明が設置されていた。座席は部屋を区切る木製の縁台、剝き出しのクッションが置かれている(長時間座ったが、座り心地はよかった)。薄暗がりのなか、同時多発的にプログラムが進行し、さらに映像収録も行なっているので、非常に混沌とした雰囲気。何かを見ると言うよりも、経験する感じが強かった。13プログラムのうち、4つを経験した。短く振り返る。


●村社祐太朗企画―新聞家『無床』(26日 12:30)
作・演出:村社祐太朗、出演:那木慧、吉田舞雪。俳優は、観客が取り囲むなか椅子に座り、ほとんど身動きせずに村社のテクストを発話する。最初に種田皮ふ科院長のモノローグを那木が、続いてふくえのモノローグを吉田が語る。それが終わると演出家と俳優2人のミーティング時間。その間、観客は那木と吉田のどちらにアンコールをするか、話し合って決める(アンコールしないという選択肢はなかったような気がする)。結果は那木だった。
ノローグと言っても、観客に直接何かを伝える訳ではない。言葉そのものの感触、視覚的イメージのみが残り、意味や感情は排除される。意識の流れ風テクストもその理由の一つだが、俳優が発話する際の言葉への食い込みが身体的であることに、大きな原因がある。目を閉じて聴いていると、まるでダンスを見ているようだった。那木が両手を前に構えて、徐々に緊張させていったのは、発話を助けるためだろうか。テクストの持つ視覚的官能性は、金井美恵子の小説を思い出させる。


●山崎広太企画―「パブリックスペースに関するトーク」(26日 14:00)
出演:山崎広太、aoikd、木内俊克、山川陸。村社企画の観客質問時間と少し重なったため、冒頭は背後から山崎の声を聴くという状況だった。さらに奥のスペースでは、七里企画の映像収録が行われており、脱力したギターの音色がほぼ絶えず聞こえてくる。山崎が踊りながら、電車乗車時における動かないダンスについて語っている時はよかったが、木内、山川の理論的な言葉を聞く際には、ギターの音が障害になった。aokid に関しては話の内容よりも、粘り強く声高でない主張の仕方に不思議な個性を感じた。直前の『無床』で耳を使ったこともあり、ギター混じりトークの面白さを味わう余裕がなかった(年齢もあり)。


●山崎広太企画―「病める舞姫をテキストにした公演」(26日 19:00)
振付・出演:石井則仁、三東瑠璃。本来は両者のソロの後に、Bhu Bhuによるソロ・パフォーマンス『Morning Breath』が予定されていたが、体調不良のため急遽取りやめに。代わりに前座として、山崎自身がソロを踊った。「気持ちとしては前座ですが、皆が後でやって欲しいというので、最後に踊ります」(山崎)。山崎の踊りは2年ぶり。この間、バレエ団への振付作品を見たり、映画上映後のトークなどは聴いている。
黒メガネに黒の上下を着た山崎は、3つのスペースを縦横無尽に走り、踊り、立ち止まって霊体となり、最後は体を撓めた。前半はランニングを基調とする踊り、「音楽がない」と言いながら、圧倒的なスピードで動き続ける(かつて神楽坂 die pratze で別の音楽が掛かったため、「消化不良、消化不良」と言いながら踊ったことがある)。アメリカン・ポップスが流れると動きへの集中が高まり、四方に飛び散る踊りを見せる。様々な雑事が消え、観客も消え、空間が一つになる。久しぶりに涙が出た。踊りが捧げ物になるダンサー、無意識の底まで捧げ切れる踊り手は少ない。クラシック・バレエの技法に乗っかれば、道筋は簡単になる(または能)。それに匹敵する技法を山崎は体に入れているのだ。厚木凡人は「パクストンの歩行は、グラン・パ・ド・ドゥのようだった」と語ったが、山崎の踊りも同様。神領國史門下の妹弟子 田辺知美と踊ったデュエットは、神事のようなパ・ド・ドゥだった。後半は舞踏。壁に向かい、体(意識)を殺して佇む。身じろぎもしないが、中では高速に何かが行われている。背中のみで空間を支配した後、会場の外へ。靴ひもが解けていたので結ぶためと思いきや、そんな下世話なことではなかった。再び中へ入ると、フランシス・ベーコンの絵のように体を歪ませ、肉塊となる。最後は「ヘイヘイヘイ」と唱えて、現世に戻ってきた。


● aokid 企画―「Nice to meet you ! And we...」(27日 18:00)
公開ミーティング。演者:橋本匠=たくみちゃん(トランスフォーマー)、ハラサオリ(美術家/ダンサー)、村上裕(アーティスト)。司会はキュレーターの aokid。公演に向けてのミーティングを観客に見せるプログラム。最初に薄板を挟んだ紙の束が配られる。橋本は白、ハラは黒、村上は赤、とイメージカラーを表す丸のイラストが表紙、続いてそれぞれの写真とQRコード、パフォーマンスのコンセプト、さらに aokid による3人のパフォーマンス(26日)の絵が加わっている。ミーティング後に改めて眺めると、3人の姿はそっくりそのままだった。村上の裸、橋本の褌姿は実際とは異なるが、本公演ではそうなるのだろう。4人は椅子に座り、観客が周りを囲む。演者の3人が興味のあることや、自作について語り、自己紹介をする。そして3人でラップの練習。その後、イメージカラーに合わせて、橋本が忌野清志郎の『イマジン』、村上がロック、ハラがシャンソンでソロを踊った。最後は全員でパフォーマンス(含ラップ)。aokid はパーカッションで加わった(踊らなかった)。終演後に観客の感想や意見を募った。
ラップを聴いて思ったのは、橋本は言葉の感触を味わいつつ発話する、村上は言葉の意味性と運動性を重視する、ハラは美術家らしい自作プレゼン(小沢剛の手法を思い出させる)とは打って変わって、シャイで可愛らしく真面目、ということだった。個々のパフォーマンス及び同時パフォーマンスでは、まず音楽家でもある村上の、直感のまま突き進む行動、反照のない動きが目立った。ダンサーのハラと橋本は空間を計算しつつ、自らの動きを反照しながら行動する。ただし終演後のトークで、村上の冷静な行動、ハラの焦った行動が明らかになり、印象とは違う一面を知った。
aokid の座組みは気持ちよかった。3人とも自立していて、コミュニカティヴ。橋本の批評性、ハラの真っ直ぐな踊り、村上の優しさが絡み合う空間にいることができて幸せだった。