山崎広太+久保田舞 @「ダンステレポーテーション」展 インスタレーションパフォーマンス 2020

標記パフォーマンスを見た(8月 28日 KITANAKA BRICK&WHITE BRICK South 1F)。山崎広太の新プロジェクト「ダンステレポーテーション」展(コチラ)から派生した企画で、同展に参加したダンサーのうち4名が出演した。小暮香帆、久保田舞、栗朱音、望月寛斗(HP掲載順)である。クリエーションをバックアップする育成色の強い公演ゆえ、個々の評は避けるが、山崎の志を継いだ久保田舞のパフォーマンスについて、書いておきたい。

上演場所は Dance Base Yokohama のある KITANAKA BRICK&WHITE BRICK North の南側にある建物の1階。「ダンステレポーテーション」展の一部展示場でもある。8つの窓のある壁を背景に、横長の木の舞台が広がる。観客は一段下がった土間の椅子に、互い違いに座った。冷房なしとの告知があったが、さほど暑くない(冷水ボトルの配給あり)。導入部は、窓にもたれた4人がこちらを振り向いて、それぞれの動きで前進するシークエンス。続いて栗、望月のソロ。3番目の久保田は、カメラとパソコンを設置し、同時撮影映像と絡みながら踊った。メディアの可能性を探る本展への応答だろう。

導入部でも顕著だったが、久保田はどのメソッド、スタイルにも回収されない独自の動きを見せる。初めから終わりまで、体と動きを注視することができた。山崎インタビューによると、クラシックバレエで踊りを始め、キミホ・ハルバートのコンテ・クラスを小4で受け、大学ではモダンダンス部に入ったという。だがどの動きにもその痕跡はない。途中アラベスクをする場面があったが、美しさを求めてではなく、筋肉の動きを確認する分析的な感触が残った。

動きが体から離れる瞬間が一度もない点、「体で考える」「体と対話する」「場所・音楽と交感する」プロセスを、観客が共有できる点は、山崎の踊りと通じるところがある。久保田にとって、体で思考する機会の確保が重要なのであって、観客にどう見られるかはあまり関係ないのだろう。表情に雑念なし。短パンを巻き上げたブルマのような恰好がよく似合っていた。

パフォーマンス前に、改めて本展を覗いてみた。11のインスタレーションの傍には、ダンサー各自へのインタビューに触発された山崎の詩文。体を通した言葉が一見無秩序に、しかし光速の思考によって結び合わされ、踊りと化している。印象的だったのは岩渕貞太への言葉。岩渕に向けると同時に、岩渕の師である室伏鴻(1947-2015)への悼詞でもあった。土方巽、室伏、山崎、岩渕と繋がる舞踏の血縁が濃厚に浮かび上がる。岩渕の返答は、薄暗い森の中で、ぬるぬるの液体を自らの裸身に塗り、銀粉をまぶしていく映像だった。

室伏の文章を集めた『室伏鴻集成』(河出書房新社、2018年)には、山崎が室伏に行なったインタビューの抜粋が収録されている(2009年高田馬場、全文は Body Arts Laboratory の HP上)。一回り年上、同じ亥年の親戚に喋るように、信頼と愛情をこめた質問が山崎から繰り出される。時には「年金はあるんですか」といった直球も。室伏も同じ血筋の弟分に、リラックスして舞踏との関係を語っている。土方への尊敬を共有しながら。

今回の山崎インタビューで最も心に残った言葉は、木原萌花との対話から生まれた。木原の「広太さんは子どもの頃から踊ってらっしゃるのですか?」という質問に、山崎は「中学高校と吹奏楽の指揮者をやっていました。その頃に、指揮者によって指揮する動きが異なるので、自分にも独自の動きができるのかもしれないと考えました。そうして徐々にダンスに近づいていきました。」と答え、さらに「僕は人と話すのが苦手だったんです。言葉の論理が嫌いだったんですね。ダンスも音楽も論理を通過せずに、すぐに表現できるでしょう。また、僕の地元では方言と標準語が混じっていて、自分がどちらの言葉で話せばよいのかと戸惑っていたことも関係しています。人と話そうとして、戸惑っている間に、相手の人そのものを観察してしまう。すると、だんだん相手の表情や仕草から、考えや思いが読み取れるようになりました。」と語る。山崎の自画像のような言葉だった。