新国立劇場バレエ団「ニューイヤー・バレエ」2020

標記公演を見た(1月11, 12, 13日 新国立劇場オペラパレス)。今年はバランシン振付『セレナーデ』(34, 35年)、牧阿佐美改訂・振付『ライモンダ』よりパ・ド・ドゥ(04年)、『海賊』よりパ・ド・ドゥ、クリストファー・ウィールドン振付『DGV』(06年)新制作というプログラムである。新春らしい古典パ・ド・ドゥ2品を挟む、バランシン、NYCB後輩振付家 ウィールドンのプロットレス・バレエ競演が興味深い。前者はドラマティックなチャイコフスキー、後者はミニマルなマイケル・ナイマン、と音楽は異なるが、共にオリジナル・ムーヴメント満載、クリエイティビティあふれる作品である。

幕開けの『セレナーデ』はバレエ団07年初演、4回目の上演。パトリシア・ニアリー熱血指導の下、5人のソリスト、アンサンブルが、美しく生き生きとした踊りを披露した。スタイルの統一はバレエ団の美点だが、それよりも、一人一人が今ここで動きを創り出す生成感が優り、バランシンの振付意図を強烈に伝える。稽古風景を滲ませる日常的次元から、女性3人が髪をほどく神話的次元への劇的移行、『アポロ』を思わせる艶めかしい男女フォルム、ダンス・クラシックからはみ出る拡張されたポジション。バランシンの振付衝動にまで遡る新鮮なパフォーマンスだった。

ワルツの寺田亜沙子は、美しいラインに激しいパトスを載せ、遅刻から昇天へのドラスティックな生を鮮やかに生き抜いた。ロシアの柴山紗帆は音楽性と強靭なテクニックを武器に、バランシン・アクセントをクリアに実現、高揚する踊りの喜びを発散する。エレジー細田千晶は、引き締まったライン美、クールで嫋やかな踊りで舞台の要となった。中家正博は研ぎ澄まされたラインとドラマティックなサポート、井澤駿は暖かく素直な踊り、と持ち味を発揮。アンサンブルには元気のよい若手が混じり、作品に新たな生命力を加えている。

続く古典パ・ド・ドゥ2作には、Wキャストを含む3組が登場した。最初の『ライモンダ』パ・ド・ドゥは、牧版初演時に第3幕で踊られたものを改訂。純粋なクラシック語彙を使用し、バランス、リスキーなサポートを多用する難度の高い振付で、バレリーナの器量と技量を見せるためのパ・ド・ドゥである。

初日の小野絢子は、福岡雄大との親密なパートナーシップを誇る。動きに無駄がなく、まるで日舞の所作を見るようだった。ただ大劇場で踊るには、少し纏まりすぎだったかもしれない。最終日の米沢唯は、舞台へ上がることの意味が肚に入ったプリマの佇まい。パートナー渡邊峻郁への配慮、観客への慎ましやかな祝福が、充実した肉体から放射される。心技体一致の境地にあった。

『海賊』パ・ド・ドゥは、メドーラとアリの関係を反映したリリカルなアダージョ、各ヴァリエーションとコーダでの技の競い合いが見どころ。木村優里のダイナミックな脚線、速水渉悟の宙に浮くような高い跳躍、そして二人のやや粗めながら高速の回転技が、客席を大いに沸かせた。

英米を股にかける振付家ウィールドンの『DGV』は、ナイマンの仏高速鉄道TGV開通記念委嘱作に振り付けられた。4つのパートそれぞれに男女ソリストが配され、最後は全員の総踊りとなる、『シンフォニー・イン・C』(バランシン)と同じ構造。だが明晰なバランシン作とは反対に、曖昧模糊とした分かりにくさがある。ソリストの振付がミニマルなリズムと一致していないこと、音の拾い方が複雑であることが理由だろう。全てを見られない点はアシュトンの『バレエの情景』を思わせる。搦め手から作られた印象があった。

なだらかな山のように配置された7つの半透明メタリック・インスタレーションが、シモテ上方の強いライトに照らされて、月夜の砂丘や月世界を現出させる。その中で浮遊する女性ソリストたちの優美なライン。一方男性ソリストは、第4区の福岡が少し踊るだけで、サポート役に徹する(公演全体でも、思い切り踊るのはアリの速水のみ)。卍型回転リフト、横っ飛びリフト、駆け足型リフト、ヒコーキ型リフトなど、スローで抑制された宇宙遊泳のような動きが次々と繰り広げられ、神話的・宇宙的な世界が一枚の織物のように綴られた。

ソリストを囲む8組の男女アンサンブルは、ミニマルなリズムに合わせて、左右移動、手旗信号風斜め腕(『アリス』のカード・アンサンブルを想起)、グランプリエで一文字腕、斜めアン・オーから阿波踊りの腕遣いなどを駆使。動くインスタレーションと化して、ソリストに脈動を伝える。

最後は月が消えて、どこでもない昼間のような空間に。両バルコニーから響く原始的な太鼓に呼応し、全員がケルト風の足技で踊る。終幕は無音。ソリスト4組が宇宙遊泳しながらフェイドアウトした。

ソリストは、本島美和と中家、小野と木下嘉人、米沢と渡邊、寺田と福岡の組み合わせ。ウィールドン『不思議の国のアリス』の初日組だった米沢と渡邊は神秘的なアダージョを踊った。反り返ったヒコーキのようなリフトで入場(渡邊は後ろ向き)。米沢の微細な筋肉の浮き上がる両脚が、濃密な軌跡を描き出す。その張り切った重みが、充実期にあることを伝えていた。一方、ベテランの本島は、繊細かつ美しいラインで空間に芳香をもたらした。グラン・プリエの絶対的フォルムが、振付解釈の深さを改めて知らしめる。女性アンサンブルを体で率いる円熟の境地だった。

マーティン・イェーツの舞台に寄り添う緻密な指揮、東京交響楽団の厚みのある弦と管が、深く豊かな響きを醸し出す。特にチャイコフスキーは、イェーツの熱いパトスが音となって流れ、強く胸に迫った。