大和シティー・バレエ『美女と野獣』2020

標記公演を見た(12月27日 大和市文化創造拠点 シリウス芸術文化ホール メインホール)。演出・振付は宝満直也、美術は長谷川匠、衣裳デザインはプロデューサーの佐々木三夏、音楽はショスタコーヴィチ曲による全2幕の物語バレエである。ヴィルヌーヴ夫人の原作を基に、登場人物を野獣、ベル、父、近衛隊長、求婚者3名に絞り、悪い仙女によって野獣共々 動物に変えられた配下が、ソリスト、アンサンブルを形成する。原作通り、ベルの夢に元の王子が現れるため、単なるフェアリーテイルに留まらない文学的厚みが加わった。ベルの求婚者3名が悪役として活躍するのは、コクトー映画の影響だろうか(ディズニー映画は未見)。

野獣と王子が交互に現れ、ベルと対する演出を見るうちに、ビントレー版『シルヴィア』を思い出した。言わばオライオンとアミンタが一人の人間に合体した印象。野獣が城壁にぶらさがる場面は、ビントレー版オライオンへのオマージュだろう。また、子役のベルと現在のベルが交錯するノスタルジックな情景は、ビントレー版『パゴダの王子』の援用である。ビントレーのダンサー育成企画「NBJ Choreographic Group」を端緒に振付を始めた宝満にとって、ビントレーはメンターのような存在。師と同様、ダンサーの才能と個性を見抜き、それにふさわしい振付を施し、感情の流れが作れるようになった現在の宝満を見て、ビントレーはどう思うだろうか。ビントレーが大切に育てた主役の小野絢子と福岡雄大は、当時と同じように生き生きと踊り、創作を基盤とするアルカディアを幻視させた。

硬軟取り混ぜたショスタコーヴィチの選曲は、物語を的確に導いている。動物ディヴェルティスマンのある1幕は、あくまで明るく、野獣と求婚者たちの戦いがある2幕は、悲劇的でドラマティックな曲が多い。振付は緻密な音楽解釈を反映、キャラクター描写に優れる。特に1幕は、複雑なパ・ド・ドゥはもちろん、得意とする動物の踊りに見応えがあった(小鳥アンサンブルのアクセント!)。物語を立ち上げる力、そこはかとないユーモアのセンス、コミカルな場面を演出する手腕、といった宝満の才能が、総合された全幕初演だったと言える。ただし、終幕にかけて野獣とベルの物語が後退する点は疑問。ショスタコーヴィチの音楽に触発されたのか、村人蜂起が加わり、野獣と求婚者たちの戦いが前面に出る。野獣の死にかける理由が、ベルを失った孤独ゆえではなく、ナイフで刺され、銃で撃たれたため、は、ややドライに思われる。野獣から王子に戻る契機にも、分かりにくさが残った(本来はベルが結婚を承諾したため)。

長谷川匠の美術はすっきりとしたセンスのよさ。上下する赤バラの花綱カーテン、終幕に降り注ぐ花びらに、どこか日本的な情緒を漂わせる。佐々木三夏の衣装デザインも品の良さが特徴。ベルのグレーと薄ピンクのワンピース、ブルーグレーのドレス(ダイヤの髪留め付き)、野獣の茶のぼかし入り白ズボン、小鳥たちの羽毛を思わせるチュールが素晴らしい。プログラム、チラシに至るまで、統一された美意識を感じさせた。

主役ベルの小野は、はまり役。凛とした可愛らしさ、ピンポイントのユーモア、抒情的な愛の表現、と小野の美質が遺憾なく発揮されている。これまで踊ってきたジゼル、ジュリエット、シルヴィア、さくら姫、妹ぶた(宝満作)を思い出しながら見た。対する野獣の福岡も、同じくはまり役。野獣の荒々しい激情(食器を払いのける)、不器用な感情表現と深い苦悩、王子の健康的な凛々しさを、奥行きある演技と力感あふれる踊りで演じている。マイムも雄弁で、古典を踊り続けてきた年月を思わせた。小野との呼吸も当然ながらぴったり。二人の資質の細部を穿つ宝満の宛て書きを、最大限形にした、ベテラン・コンビならではの緻密な造形だった。

小野の兄ぶただった八幡顕光は、今回は愛情深い父。夏の伴蔵(牡丹灯篭)に続き、芸達者なところを見せる。同じ兄ぶたの福田圭吾は、今回はおサルの近衛隊長。舞台人の原点とも言える猿役を、鮮やかな踊りと共に披露した。野獣の福岡を励ます熱さも福田らしい。子ザルを含む猿一党の場面は、妙におかしかった。

求婚者には、中家正博、木下嘉人、池田武志が揃い、切れの良い踊りに悪のオーラを発散させる。ゴリラ時のヤンキー座りが様になっていた。中家と野獣福岡の激しい一騎打ちも見もの。カナリヤの奥田花純、オオルリの五月女遥、ローズフィンチの野久保奈央には超絶技巧、クジャクの相原舞には優雅な踊りと、それぞれの個性を生かした振付も楽しい。動物、村人アンサンブルが生き生きとした踊りで、振付家のダンサー愛に応えている。